曲目 :
@ |
第1番 ホ長調 : アンダンティーノ・コン・モート |
Première Arabesque : andantino con moto |
A |
第2番 ト長調 : アレグレット・スケルツァンド |
Deuxième Arabesque : allegretto scherzando |
(全2曲)
概説 :
ドビュッシーは,パリ音楽院ピアノ科ではついに1等賞状(Accessit:一等を指すPremière
Prixの次席)までしか得ることができず,演奏科へ進む資格は得られなかった。この事が示唆するように,ピアノ曲で有名なドビュッシーが,実際にピアノ曲を本格的に執筆するようになった時期は意外に遅く,最も早い時期に出版されたこの2曲は,彼が29才の時に書かれた。
マスネを始めとする後期ロマン派やサロン音楽の影響を感じさせる甘く優美な一番と,バロック音楽への憧憬を感じさせるリズミカルな2番はいずれも3部形式をとり,モチーフの上では先達を範としている。しかし,古典的な和声法が禁じる平行5度和音を使用して機能和声からの脱却をはかった第2曲などに,やがて確立する独自の語法の萌芽は容易に見いだすことができる。
アラベスクとは【アラビア風】の意味であるが,ドビュッシー自身は中東へ行ったことはなく,アラベスクの標題そのものに,格別深い思い入れはなかったものと思われる。標題の由緒についてはこの他に,『アラベスク』が【唐草模様】(右図)の意味をもつことから,当時パリで流行したアール・ヌーヴォー*の芸術家や工芸家が好んで用いたペルシャやビザンチン様式の唐草模様がもつ,抽象的な造詣に霊感を得て着想したと考える説が知られており,ドビュッシー自身が当時書いた音楽評論(【ルヴュ・ブランシュ】誌:1901年5月1日付)中で,バッハの協奏曲を評し「聖なるアラベスク」と表現したことに典拠を求める説などもある。近年,ベーレンライター社からフルート四重奏への編曲版も出版された。初演は1894年5月23日パリで行われ,好評を持って迎えられた(ただし第2曲のみ)。自筆譜はパリ国立図書館蔵。
|
アラベスク文様
サミュエル・ビング |
|
注 記
* アール・ヌーヴォー(Art Nouveau=新芸術)は,当時のヨーロッパで流行した近代芸術のいち潮流。1900年のパリ万博を機に広く知られるようになったため,運動の拠点はパリであったが,もとは1880年代のイギリスで,ウィリアム・モリス(1834-1896)を中心に進められた「【芸術と職能】(Arts
and Crafts)運動」(生活に根ざした職工の熟練を芸術へ昇華しようとするとする運動)を背景に持つ国際的な芸術運動で,国により呼び名は異なる(ドイツ語:Jugendstil,イタリア語:Stile Liberty,スペイン語Modernista)。その呼称は,美術商サミュエル・ビング(Siegfried 'Samuel' Bing: 1839-1905, 右上肖像)がパリで経営していた「アール・ヌーヴォーの館」に由来する。
非西欧圏の文様や動植物などをモチーフにし,曲線を複雑・抽象的に組み合わせた作風と,高度な専門技術を駆使した高熟練・少量生産性,機能よりも美観を重視する創作態度が特徴である。アルフォンス・ミュシャ(絵画),ルネ・ラリック(宝飾品),エミール・ガレ(ガラス工芸),エクトル・ギマール(建築)など,多分野に渡って優れた人材を輩出した。 |
ミュシャ「ジョブ」
(1896年,石版画) |
ラリック「蜻蛉の精」
(1897-98年)
カルースト・グルベンキアン美術館蔵 |
Reference
Ashbrook, W. and Cobb, M.G. 1990. A portrait of Claude Debussy. Oxford: Clarendon Press. {Dietschy, M. 1962. La passion de Claude Debussy. Neuchâtel: Baconnière}
Lockspeiser, E. 1972. Debussy. New York: McGraw-Hill. |