管弦楽とピアノのための幻想曲
Fantaisie pour Piano et Orchestre


「親愛なるダンディ様,
一晩よく考えて,次のような悲しいことを申し上げます。
・・幻想曲の第一楽章だけを演奏することは,単に危険であるばかりか,
作品に対する誤った考え方を与えるばかりだと私には思われます。
とどのつまり,あなたのおかげで可能となった第一楽章の申し分ない演奏よりも,
三楽章の満足のゆく演奏が必要だったということです。」

ダンディへの書簡(1890年4月20日)



曲目 :
@ アンダンテ・マ・ノン・トロッポ・アレグロ・ジウスト andante ma non troppo - allegro giusto
A レント・エ・モルト・エスプレッシーヴォ:アレグロ・モルト lento e molto espressivo - allegro molto

 (全2曲)
概説 : 
1890年4月に完成したドビュッシー初期の作品。当初はローマ留学の成果として,学士院送付第4作となるはずだった。2楽章だが実質上はソナタ形式の3楽章からなる。当初は1890年4月21日の国民音楽協会定期演奏会において初演される予定で,前日にヴァンサン・ダンディ指揮によるリハーサルが行われた。しかしダンディはこの時,勝手に第2,第3楽章を省略して演奏しようとしたため*,これに立腹したドビュッシーは譜面を引き上げて初演を差し止めた。最終的に初演は,ソリストを務めるはずだったルネ・シャンサレル(René Chansarel)の病気との理由をつけてキャンセルされている。

初演から3日後の4月24日,『幻想曲』の譜面はシューダンス社へ200フランで売却され**,出版社を転々としながら数度の改訂が加えられた。その後,1896年にコロンヌ管弦楽団の定期演奏会で演奏する計画も持ち上がったがこれも実現せず,結局作曲者自身から,自作とは認めないと宣言されるに至り***,初演は作曲者が世を去ったのち1919年まで行われず,印刷だけは済んでいた原典版の出版も1920年(改訂版の出版に至っては1968年)まで行われていない。

作品の着手に先立つ8月,ドビュッシーはワグナー『パルシファル』の初演を聴くため,バイロイト音楽祭へ赴いた。しかし,「自分の関心が薄れつつあるのを感じるのは,私にとって悲しいことです」とギローに述べたとおり,ワグネリズムからの決別を促す結果へと結びつく。この当時,たまたまギローとドビュッシーの会食に同席したモリス・エマニュエルのメモには,ワグナーが「歌いすぎ」であり,「外装」が重たすぎるとの批判が記されている。またバイロイト訪問に先立つ5月6日にはパリ万博が開幕し,ドビュッシーはデュカやゴデと連れだって何度も安南館を訪れている。ここで上演されていた歴史劇『ドゥオン王』を鑑賞し,彼は大いに触発された。これらの経験を通じて従前の音楽表現に限界を感じ,新たな語法を模索し始めた時期に書かれたのが,『幻想曲』である。

終楽章のオスティナート音型にジャワ音楽の際だった影響が見られるなど,ポスト・ロマンティシズムの萌芽が表れている反面,ロシアの国民楽派的な壮麗さと,フォレを思わせる甘美さとを併せ持つこの作品は,伝統的な作曲法との狭間にあった彼の試行錯誤を反映している****。ドビュッシー自身はこの作品の出来映えに満足してはいなかったようだが,数度の改訂を試みたことや,1893年にニューヨークでの初演を計画していたことなどを勘案すると,後期ロマン派へのオマージュとも言うべきこの作品の曲想には,少なからず愛着があったとみても良いのではないだろうか*****
。曲は当時親しく交流のあったピアニストで,初演者になるはずだった友人のシャンサレルに献呈。自筆譜の管弦楽譜は個人蔵。連弾譜が英国博物館に所蔵されている。



ジャワの舞姫たち
(1889年万博にて)



ヴァンサン・ダンディ
(1911年頃)
注 記

* 当日の演奏会では他に,フランクの『四重奏曲』,ブノワの『コリントの婚礼』,フォレの『受難曲』,デュランの歌曲数点と前奏曲一点を含めて,合計9つもの作品を上演するプログラムが組まれていた。幹事だったダンディが演奏を省略して演奏しようとした理由はここにあったと思われる(ちなみに,当日のプログラムで『幻想曲』は,1) 「アレグロ・モデラート」,2) 「アンダンテと終曲」の2楽章と記されていた)。ただし,ドビュッシーがダンディに宛てた上記の書簡には「わたしはあなたの同意を願っていますし,また,あなたからのご恩に一見たいへん悪し様に応えることに対する私の憂慮を理解してくださるよう願っています・・これを機に,あなたに感謝し,心から誠実な友情を持つ人間であり続けるでしょう」との文章が続いている。ダンディは保守的な作曲家であったが,自らが認めた場合は若手の音楽家に対しても寛容であり,『幻想曲』を演奏会で採り上げたのもこのためである。ドビュッシーもこれは承知しており,決して単なる怒りに任せて譜面を引き上げたわけではないことは記しておく必要があろう。

** この時期ドビュッシーは,詩人のカチュール・マンデスと未完の舞台作品『ロドリーグとシメーヌ』を構想していた。ルシュール(2003)は,ラファエル・ゴデの記述を根拠に,シューダンス社への売却を仲介したのはマンデスだったと推測している。

*** 版権を購入したシューダンス社から,1895年にアルトマン社へと版権が移ったとき,ラオール・プーニョと出版者側は,この曲が初演されるべきだとドビュッシーに主張したが,ドビュッシーは拒絶している。

**** ラファエル・ゴデは後年,シャンサレルが1889年にドビュッシーの別荘で,シャンサレルとボロディンの《交響曲》を連弾したと記している。この曲は5年後に,ブレヴィユ宛て書簡の中でも「歓喜にみちた喧噪」と,やや批判的に評価されながらも引用された。これらの傍証から,Dietchy(1962)はボロディンからの影響を示唆している。またLockspeiser(1972)は,Dietchyと同様にグリーグとフォレの強い影響を認めつつも,終楽章の随所に『夜想曲』のヒントが既に含まれていると指摘している。

***** 1891年2月13日付けゴデ宛書簡の中で,ドビュッシーは「あの《幻想曲》はもうすぐ初演されるはずだ」と記し,ドビュッシー自身が演奏を望んでいたことを窺わせている。また1909年8月10日にエドガー・ヴァレーズへ宛てた書簡には,「かなり前から≪幻想曲≫を大幅に書き変えようと思っていました。僕は,ピアノをオーケストラと共に用いるやり方を変えることにしました。そうなると,オーケストラを違った方法で書くこともまた必要になります。でないと,2つの個性の馬鹿げた競争になっていまいますから」との一文があり,その後もドビュッシーが,この作品にとり組んでいたことを窺わせている。

Reference
平島三郎編著(1993)『ドビュッシー』音楽之友社,72頁。
F. ルシュール著・笠羽映子訳「伝記 クロード・ドビュッシー」. {Lesure, F. 2003. Claude Debussy, Biographie critique. Paris, Fayard.}
F. ルシュール著・笠羽映子訳「ドビュッシー書簡集」. {Lesure, F. 1993. Claude Debussy, correspondance 1884-1918, Paris, Hermann.}
Ashbrook, W. and Cobb, M.G. 1990. A portrait of Claude Debussy. Oxford: Clarendon Press. {Dietschy, M. 1962. La passion de Claude Debussy. Neuchâtel: Baconnière}
Lockspeiser, E. 1962. Debussy: his life and mind volume 1, 1862-1902. New York, Macmillan.
Lockspeiser, E. 1972. Debussy. New York: McGraw-Hill.
Vallas, L. 1946. Vincent d'indy I. Albin Michel.



作曲・出版年 作曲年: 1889年10月着手〜1890年4月完成。
出版: 初版は1920年,フロモン社。アンドレ・ジューヴによる改訂版はジョベール社,1968年。
編成 フルート3(第3フルートはピッコロ持ち替え),オーボエ2,イングリッシュ・ホルン,クラリネット2,バス・クラリネット,バスーン3,フレンチ・ホルン4,トランペット3,トロンボーン3,ティンパニ,シンバル,ハープ2,弦5部。
演奏時間 @(8分30秒),A(16分)
初演 ・マルグリット・ロン(ピアノ) アンドレ・メサージェ(指揮)於リヨン <パリ初演は12月7日,ラムルー演奏会>。
・アルフレッド・コルトー(ピアノ) 於ロンドン,ロイヤル・フィルハーモニック協会。
※いずれも,1919年11月20日。同じ初演日の演奏が2つある。
推薦盤

★★★★
"Concerto en Ré Majeur / Concerto en Sol Maheur (Ravel) Fantaisie pour Piano et Orchestre (Debussy)*" (EMI : TOCE-9266)
Michel Plasson (cond) François René Duchable (p) Orchestre du Capitole de Toulouse
仏近代を地味に録音し続ける職人指揮者プラッソンが,プーランクのソナタ録音,デュカのソナタ録音を残し,ひと頃一世を風靡したデュシャーブルをソリストに迎えて作った協奏曲集です。なぜか『幻想曲』のカップリングにはラヴェルが多いのですが,何か理由でもあるのでしょうか?ちなみに,このラヴェルはただのおまけです。到底推薦できるような代物ではありません。しかしながら一転,『幻想曲』の出来はなかなかに秀逸です。後述するケフェレック盤とは逆に,デュシャーブルの録音は,過剰なテンポ・ルバートを排した第一楽章の出来が好い。ちょっとだけ弦が粗いほかにはテンポ取り,独奏者の演奏ともほぼ理想的で,欠点の見あたらない演奏。第一楽章の方がお好きな向きにはこちらをお薦め致します。

★★★★
"Concerto en Ré Majeur / Concerto en Sol Maheur (Ravel) Fantaisie pour Piano et Orchestre (Debussy)*" (Erato : ECD 55041)
Alain Lombard, Armin Jordan* (cond) Anne Queffélec (p) Orchestre Philharmoque de Strasbourg : Orchestre National de l'opéra de Monte-Carlo*
アンヌ・ケフェレックはラヴェルのピアノ曲集やデュティユーのピアノ曲集の録音など,フランス近代物を精力的に録音している女流ピアニスト。ブレンデルのお弟子さんだった彼女の演奏態度は,フランス人にしては珍しく生真面目な学究肌。これはラヴェルでもそうで,弾くにあたってはフランソワを相当に意識し聴き込んで,奏法(特にリズム)を研究したうえで弾いているのが良く分かります。いわば努力の秀才型と申せましょう。時に,その生真面目さが演奏に不自然な硬さを与え,本家の二番煎じ感を与えてしまうのが勿体ない彼女に取り,フランソワの演奏がない(ライヴの音源はあるようです)『幻想曲』は嬉しいレパートリー。第一楽章はやや表情を付けすぎ,作為の色が濃いものの,緩楽章の第二楽章は彼女の美点が好く出た秀演ではないでしょうか。
 (評点は『幻想曲』のみに対するものです。)

(2006. 3. 10 改訂)









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