映像 〜 第一集・第二集
Images - premième série, deuxième série

「《映像》を演奏してみましたか・・?
この3つの曲は,全体にうまくまとまっていると思います。
自惚れからでなく,ピアノ音楽の歴史の中でこれらは(シュヴィヤールの言うように)
シューマンの左にか,ショパンの右にか−どちらなりとお気に召すままですが−
席を占めることになるだろうと確信しています」


Avez-vous joué les 'Images'..? Sans fausse vanité, je crois que ces trois morceaux
se tiennent bien et qu'ils prendront leur place dans la littérature du piano...
(comme dirait Chevillard), à gauche de Schumann, ou à droite de Chopin... as you like it.


デュラン宛書簡(1905年9月11日)を意訳*

曲目 :

映像 第一集 Première Série
@ 水の反映 reflets dans l'eau
A ラモーを讃えて hommage à Rameau
B 動き mouvement
映像 第二集 Deuxième Série
C 葉末をわたる鐘の音 cloches à travers les feuilles
D かくて月は廃寺に落つ et la lune descend sur le temple qui fut
E 金色の魚 poissons d'or

(全2集: 各3曲 計6曲)


概説 :

 ドビュッシーには『映像』の表題を持つ作品集が3つあり,のち『管弦楽のための映像』となる1912年の映像のほか,ピアノのために2編の『映像』が遺された**。交響詩『海』(1905年)で,俗に《印象主義的》とされる語法を完成させたドビュッシーが,ピアノ独奏作品において,その試みをいっそう探求した作品となった。分散和音や全音階,高度な旋法表現などが遺憾なく取り込まれ,ますます曖昧になって行く輪郭,希薄になってゆく和声の中に,光と陰の微妙な揺らめきが精妙に描かれている。作者自身も「和声という化学における最も新しい発見」を自負していた。各曲の体裁は以下の通り。

第一集 I 水面に反映する森羅万象が揺らめくさまを,高域の和音進行のフラクタル的反復によって表現。
II デュラン社から作品集を贈られて大いに感謝したという,作者の敬愛した作曲家ジャン・フィリップ・ラモーへの賛辞と,フランス古典音楽への憧憬。
III 現代音楽を予見するかのような無窮動的リズム。
第二集 I 全音階の分散和音によって,精妙な光陰の揺らめきを表現。アレクサンドル・シャルパンティエに献呈。
II 遺されたスケッチ帳の余白に「仏陀」と記されていたことから,この当時彼が手がけていた『シッダールダ』(未完)との関わりを示唆しているとの説もある。ルイ・ラロワに献呈。
III 作者所蔵の日本の蒔絵に描かれた,金色の魚(右下図)に着想。初演者リカルド・ヴィーニェスに献呈。

 これら3編の『映像』は,当初2編12曲からなる大規模な連作として構想され,1896年頃に着手された。1903年7月8日には,二台ピアノと管弦楽をピアノ独奏が挟む作品として,デュラン社との間に契約書も交わされている(
右図)。しかし,この契約書は当初の構想を示す唯一の資料となった。第二集の第四曲から第六曲については,詳細が決められないままこの構想のみで終わり,既に標題が最終稿と同じ状態にあったピアノ独奏のための六曲は,のち『管弦楽のための映像』となる二台ピアノと管弦楽部分を除いた形で構想し直された。まず第一集が,「水の反映」の大幅な改訂ののち1905年に出版され,次いで第二集が1908年に出版されている。

 ドビュッシーが『映像』という曲名に込めた意図は釈然としない***。しかし,彼が出版契約を交わす数日前にその居宅を訪れ,「・・何たる偶然か,それらの楽曲はターナーの絵を思わせる,と私が言うと,それらを作曲する前,まさに自分はロンドンのターナー展示室で長い時間を過ごしたのだ,と彼は答えた」とするヴィニエスの記述や,「自らの夢を素描の精気のなかに具現化できる画家は,何とうらやましいことか」と作曲者が述べていたとするレイモン・ボヌールの述懐から,その一端をうかがうことはできる(『交響詩【海】』注記を参照)。

 ただし,ここでいう『映像』を,視覚刺激としての映像表現(visual art)に限定するのは安易であろう。妻エンマと前夫との間に生まれ,一時ドビュッシーにもレッスンを受けていたラウル・バルダックに宛てた書簡で,彼は作曲の秘訣を「自分の脳髄を日光浴させた方が良いのです。その神経素材がまだ反射作用を受け入れられる間に,花や瞬間的なものを見つめなさい。様々な印象を集めなさい。それらを急いで記譜しようとしてはいけません・・・。なぜなら,音楽には絵画に勝る美点があり,同一の様相の光彩的変化を一極集中できるからです。それはまったく不充分にしか観察されてこなかった真理です」(1906年2月24−25日付)としている。あくまで,現前(present)された視覚的な刺激を受け取った,内的心象の反映として,再現前(re-present)されるものが,彼にとっての『映像』であった****。標題は,この作品が『海』に続いて書かれ,彼のいわゆる印象主義的な書法の集大成的な位置を占める作品となったことと無関係ではないだろう。自筆譜は国立パリ図書館蔵。





《映像》〜二手ピアノと四手二台ピアノあるいはオーケストラのための十二の楽曲(1903年)
第一集 1) 水の反映 ピアノ独奏
2) ラモー礼讃
3) 運動
4) イベリア 二台ピアノと管弦楽
5) 悲しきジーグ
6) ロンド
第二集 1) 葉むらを渡る鐘 ピアノ独奏
2) そして月は廃寺に降りる
3) 金魚たち
4) - -
5) -
6) -



作曲者蔵の鯉の蒔絵

注 記

* 笠羽の訳文は,より原文に忠実であるが,Debussy (1927)では「シューマン」であるはずのところを「シューベルト」と記載している。いっぽう,平島(1993)は意訳した訳文であるが,原文通りの「シューマン」としている。Debussy (1927)によると,笠羽のほうが誤訳となるため,ここでは原文を併記し,直訳に近い笠羽の訳を採って意訳してある。Debussy (1927)のほうが誤記であり,笠羽が一次資料にあたって訂正した場合はこの限りでないが,一般には「シューマン」が流布しており,ルシュールが注記なしにこれを覆すとは考えられないため,誤訳であると思われる。ちなみに文中最後の「お気に召すまま」は,トゥレ(P-J.Toulet)と共同で構想していた舞台作品の標題を掛けた洒落である。
** この他にも,1894年に書かれた『忘れられた映像』がある。しかし,これはドビュッシーの死後1977年になって,未出版だった3曲を『ピアノと奏者との対話』として出版する際,便宜的にこう呼んだものであり,作曲者の付けた標題ではない。
*** Roberts (1996)は,第一集の被献呈者であるイヴォンヌ・ルロルの父親が画家のアンリであり,彼が初めて『映像』の名前を用いた1894年が,彼が初めて《印象主義者》と呼ばれるようになった年であることに注目している。印象主義はもともと,1874年に最初の展覧会を開催した新進画家グループ(モネ,ドガ,セザンヌ,シスレーら)に共通する表現様式に対し,揶揄の意味を込めて用いられた言葉であり,音楽における《印象主義》も,当初はドビュッシーや彼に続く若手作曲家の作品への揶揄の意味合いを込めて,批評家が用いた表現であることは記しておく必要がある。彼らはのち「ドビュッシー楽派(Debussyschule)」(ノイエ・ツァイトシュリフト誌)と一括りにされ,「いずれにせよ興味深い色彩を伴った,輪郭のない印象派絵画を思わせる,凝った作品」(ギド・ミュジカル誌)と見なされるようになった。こうした否定的見解への反応として,彼が『映像』という言葉を用いた可能性はあるだろう。ドビュッシー自身も,のちにデュラン宛て書簡(1908年3月)中で管弦楽版の映像について触れ,「『別のこと』をしよう,そしていわば『実態』−馬鹿どもが『印象主義』と称するもの−を創り出そうと試みていますが,この印象主義という用語は,とりわけ芸術における最も素晴らしい神秘的な創造者であるターナーにそれをまとわせて憚らない美術批評家たちによって,可能な限りを尽くして悪用されてきた用語です!」と述べている。また,こんにちの音楽史における《印象主義》語義の政治的含意については,ドイツ中心史観をもつ音楽学者が,ワグナーからシェーンベルクへと至る近代音楽史の一傍流として,ドビュッシーの音楽的成果を矮小化するために,印象主義のレッテルが果たした役割を示唆するGoldbeck(1974)の見解が興味深い。
**** この点に関しては,認知科学の知見が理解の助けになる。一定のプログラムやコードに従って入力された情報を処理し結果を出力するコンピュータの出現によって,1970年代以降,人もまた外界からの刺激(bottom-up information)と,観察者がもともと備えている既有知識(top-down information)とを頭の中で摺り合わせることにより,物事を理解しているのではないかとの考え方が主流になってきた。『映像』の場合もまた,主体が視覚を使って外界から送られてくる映像を脳内に再構成し,それらの情報(bottom up)を作曲家としての専門的な知識(top-down)によって音楽に置き換えていく一連の認知過程と考えられる(e.g. Lloyd 1997)。「たとえ彼が諸芸術の照応に魅力を感じて続けていたにせよ,まさに問題となっているのは,用いられた手段とは何ら関係のないインパルス(感応力)」であるとするルシュールの見解(p.272)もこれと矛盾しない。


Reference
平島三郎編著(1993)『ドビュッシー』音楽之友社。
F. ルシュール著・笠羽映子訳「伝記 クロード・ドビュッシー」. {Lesure, F. 2003. Claude Debussy, Biographie critique. Paris, Fayard.}
F. ルシュール著・笠羽映子訳「ドビュッシー書簡集」. {Lesure, F. 1993. Claude Debussy, correspondance 1884-1918, Paris, Hermann.}
Ashbrook, W. and Cobb, M.G. 1990. A portrait of Claude Debussy. Oxford: Clarendon Press. {Dietschy, M. 1962. La passion de Claude Debussy. Neuchâtel: Baconnière}
Barraqué, J. 1994 (1962). Debussy. Éditions du Seuil. 250p plus tables.
Debussy, C. 1927. Lettres de Claude Debussy à son éditeur. Paris: Durand et Fils, Éditeurs.
Goldbeck, F. 1974. Twentieth century composers 4: France, Italy and Spain. London, George Weidenfeld and Nicolson.
Lloyd, R. 1997. Spatial cognition: geographic environments. Dordrecht: Kluwer Academic Publishers.
Roberts, P. 1996. Images: the piano music of Claude Debussy. Amadeus Press.


作曲・出版年 作曲年: 1904年〜1905年(第一集)。1907年(第二集)。
出版: 1905年(第一集)。1908年(第二集),いずれもデュラン社。
編成 ピアノ独奏
演奏時間 第一集 合計15分(5分・7分・3分),第二集 合計13分(4分・5分・4分)
初演 ■第一集: 1905年12月14日(第2曲)
■第一集: 1906年2月6日(第1曲,第3曲),リカルド・ヴィーニェス(ピアノ) 於,国民音楽協会定期演奏会。
(※音楽之友社とディエッチーの作品表で初演日の記述に違いがありますが,後者を信頼します)
■第二集: 1908年2月21日,リカルド・ヴィーニェス(ピアノ) 於「音楽の集い(Cercle Musical)」
推薦盤

★★★★★
"Oeuvres pour Piano II :
Images, 1'ère série / Images, 2'ème série / Rêverie / Deux Arabesques / La plus que Lente / 5 Études / Masques / L' îsle Joyeuse"
(EMI: TOCE-3022)

Samson François (piano)
日本の批評家間で,印象派の演奏にかけては第一人者と定評があるのがフランソワ。彼の持ち味は,譜面を読んでいるとは思えないその独創性と自由奔放さ。時にはそれが出来不出来の露骨な差になってしまいますが,いい時は,それが曲に全く新たな生命を吹き込みます。最晩年に吹きこまれた彼のドビュッシーは,死期が近いためか,出来にかなりむらがありますが,この第二集はお薦め。『映像』における霊感溢れる演奏の素晴らしさは,いまだ孤高の境地にあって余人の追随を許しません。

★★★★☆
"Complete Piano Works"(Denon : COCO-75160-63)
Jacques Rouvier (piano)
フランスの中堅ジャック・ルヴィエのピアノによる4枚組ドビュッシー全集。分売もあります。フランスのピアノ弾きにしては少しばかり粗忽で乱暴なところもありますが,高度な技巧を駆使し,全体にすっきりとして平明な表現のドビュッシーです。小生これまで余り彼のドビュッシーに感心した記憶がないのですが,全集で聴いてみると,中には意外な秀演も。この『映像』はその白眉ともいうべき演奏。粒立ちがよいものの,ドイツ訛で品位を下げたエミール・ギレリスの『映像』(第1集のみ)から欠点をとったような,明朗で正統,中庸な解釈。すっきりとした表情の,現代的な『映像』の模範例だと思います。同曲の数多い演奏の中でも上位の一を占める内容といえましょう。

★★★★
"Images, 1'ère série / Images, 2'ème série / Children's Corner" (Deutsche Grammophon : 415 372-2)
Arturo Benedetti Michelangeli (piano)
『映像』で,フランソワと並ぶ古典的演奏を遺したミケランジェリは,名だたる完璧主義者で,自分の気に入った録音でない限り発売をさせないような超神経質なピアニストだったとか。ほとんどの録音が一発録りで,少々ミスがあろうとも演奏の生気を何より重んじた天才肌のフランソワとは,まさしく正反対です。この『映像』も,まさにフランソワと正反対。細かい運指,ペダル捌き,テンポ取り,ルバートの一つ一つまで緻密に推敲を重ね,100%を狙ったその演奏からは,霊気はまるで感じられませんが,鬼気は存分に伝わってきます。極めて緊張感溢れ,正確で,明瞭。好みは分かれましょうが,『映像』における一つの極みを生み出した演奏として傾聴に値する内容であるのは間違いありません。なお,彼には1964年の海賊音源もあります(Aura: 109-2)。こちらは本盤よりテンポ早く肩の力を抜いた演奏。生気のある演奏ですが,全体に仕上がりが粗いので,一般の方は本盤をお聴きになれば充分でしょう。

★★★★
"Images, 1'ère série / Images, 2'ème série / Images Oubliées / Estanpes / Trois Pieces de 1904" (Accord : 242092)
Philippe Cassard (piano)
フィリップ・カッサールは1962年生まれのフランスのピアニスト。国立パリ高等音楽院で学び,ダブリン国際ピアノ・コンクールで優勝したピアノ奏者です。1990年代以降に録音された中では,最も個性的で面白みのある『映像』ではないかと思います。没個性的なピアノ弾きが多い中,まだ若い彼は覇気と怖い物知らずな自信があるのでしょう。大袈裟なルバートを駆使してみたり,大仰な強弱の振幅をつけてみたり,レガートからスタッカートへの天の邪鬼な読み替えを行ったりと,かなりエキセントリックで癖のある弾き方を見せます。懐の深い『映像』ではそうした面が良い方に働いて,なかなかの好演に。わけても『水の反映』はちょっとした名演と呼べる出来映えではないでしょうか。上記3枚を既にご存じの方はどうぞ。

★★★★
Claude Debussy "Estampes / Pour le Piano / Images 1're série / Images 2e série" (Lyrinx : LYR 1148)
Jean-Claude Pennetier (piano)
ロン(第2位)ジェネバ(優勝),モントリオール国際(優勝)など輝かしい経歴を誇りながら,あまり知られていないペヌティエのドビュッシー。いかつい御尊顔からは想像できぬほどふくよかで繊細。テクスチュアに富み,訥々と語り掛けるピアノ。こういう種類の演奏は最近少ないのですが,テオドール・パラスキベスコに通じる職人芸的なピアニズムと申せましょう。そしてまた,そうした個性に実に好く合った曲を選んできたなという印象です。地味なようでいて,ずっしりと重量感に富んだ巧みなペダル捌き,巧みな音圧の掛け分けによって陰影に富んだ心象風景をあらわす巧みなアルペジオ,重みと含蓄豊かなルバートと個性溢れ,ドビュッシーのピアノ盤で久々に説得力ある演奏を聴かされた気がいたしました。既にお年なので,若干細かい技巧にはアラがあるものの,抜群の包容力が補って余りあります。2枚目以降としてはお薦め。

★★★★
"Images 1 ere, 2ème livres / Berseuse Héloïque / Children's Corner (Debussy) : Ma Mère l'oye / Habanera (Ravel*)" (Calliope : CAL 9832)
Théodore Paraskivesco (piano) Jacques Rouvier (piano)*
現在は教育者として,パリで悠々自適の日々を送っておられるパラスキベスコ氏は,今やまるっきり録音が出なくなってしまいました。彼のドビュッシー録音である本シリーズも,『前奏曲集』と『練習曲集』はもはや入手至難。内容が大変に好いピアニストだけに,勿体ない話だと思います。小生も漸く,本CDまでは入手できましたが,某ベロフや某ギーゼキングがいつでもどこかから出ていて,安易に掴めるところにあるのに比して,余りに不幸な現状だと思います。彼のドビュッシーは教育者らしく,徹底的な譜面の読み込みによって支えられた,極めて丁寧な解釈と演奏が持ち味。ミケランジェリにはない,積極的な美点の大きさが魅力です。この『映像』も,彼らしい,くっきり明瞭でいて柔らかさを失わない打鍵と丁寧に読み込まれた説得力あるルバートが見事。極めてデリケートな演奏となっています。惜しむらくは『葉末を渡る鐘の音』でしょうか。5分40秒は幾ら何でもテンポが遅すぎると思うのですが如何?

★★★★
"Images 1er, 2e Livre / Le Martyre de Saint Sébastien / Masques / Estampes / Hommage à Haydn / Berceuse Héroïque" (Erato : 3984 26754 2)
Alice Ader (piano)
ドビュッシー弾きとしては,久しぶりに大当たりの名手です。いまだに詳しい経歴は不明ながら,演奏から伺う限り,彼女は現代音楽系のピアノ弾きではないでしょうか。特にリズム面の解釈が非常に独創的。このあたりの持ち味は,同じく現代音楽家のブレーズととても良く似ており,彼の振ったドビュッシーに感じる,あの鉄のようにひんやりとしていながら滑らかで艶めかしい響きが,そのままアデルにも当てはまる。ブレーズ同様,オーソドックスな演奏からはかなり逸脱していますので,初めて聴く方よりは,既に幾つかこれらの曲を聴いていて,『映像』や『版画』の“メタ表象”が脳裏に形成されているという方のほうに,極めて深い洞察を与えるのではないかと思います。1999年録音の前奏曲集に対して,こちらは8年前の録音なためか,運指の粒立ちも素晴らしく良い。少し粗忽なところもありますが,この10年に出た録音としては最上の部に属するのではないでしょうか。

★★★★
"L'oeuvre pour Piano" (Erato : 4509-94827-2)
Monique Haas (piano)*
フランスの名女流モニク・アースは,晩年になってラヴェルとドビュッシーのピアノ曲集をエラートに遺していってくれました。特にラヴェルは仏ディスク大賞を取ったほど高レベルの演奏です。彼女のドビュッシーは,フランス人とは思えないほどくっきりとした運指と,中様な作品解釈が魅力。年齢のせいか細かい弾き間違い(明らかなミスタッチというより,指のロレツが回らず,音符が潰れたようになるものが多いです)が散見され,Bのクライマックスではアラが露呈してしまいますが,的確なテンポ取りと効果的なペダル使いで巧さを発揮します。そんなこの盤にはしかし,致命的な難点が。ラヴェルもドビュッシーも,録音が悪いのです。ノイズがあるわけでも,モノラルなわけでもないのですが,ピアノの音が汚い!中域が異様に膨らんだ中年太りのオヤジのような集音で,おまけに音が割れている。せっかくの演奏が,この醜悪な録音で台無し。天は二物を与えず,ではありませんが,この難点は覚悟してください。これさえ我慢すれば,貴兄のライブラリに素敵な選択肢が加わることでしょう。

★★★☆
"Children's Corner / Images I, II / from Préludes book I" (Aura : AUR 225-2)
Arturo Benedetti Michelangeli (piano)
20世紀を代表する名手ミケランジェリは,1968年以降イタリアへ移住し,後年は彼の地を拠点に活動。多くの録音を残します。Auraから復刻された本CDもその一つ。有名なグラモフォン録音と同じ選曲ながら音源は別もので,『子どもの領分』は1968年,『映像』は1987年,『前奏曲集』は1977年に吹き込まれたものです。彼が世を去ったのは1995年でしたが,最後のリサイタルはその2年前の5月で,オール・ドビュッシー・プログラムだったとか。寡作家で知られる彼がドビュッシーを最初に採りあげたのは1937年のこと。一躍有名を馳せたジェネバ国際の優勝よりもさらに2年前のことでした。ここに収録された3作品は,彼のライフワークでもあったわけです。イタリアの僻地?でのライヴから吹き込まれたものだけに,集音は決して誉められたものではなく,特にペダリングがぼんやりと聞こえてしまうのは残念(ペダリングの精妙さが要求されるCなどに顕著)ですが,演奏はといえばとても後年のものとは思えないほどレベルが高い。特に,有名なグラモフォン録音とほぼ同時期の『子どもの領分』は本家盤よりもアニマと遊び心に富んだ素晴らしい演奏です。最晩年の『映像』は,さすがに技巧がやや怪しくなり,速いバッセージでは運指のロレツが回らなかったり,リズムの輪郭が崩れたりする瞬間がちらつくものの,ゲルマン的な格調と襟の整った鞭のようなルバートが高いレベルで調和した秀演。間違いなく買って損はありません。
 (評点は『映像』のみに対するものです。)

(2001. 6. 30 / Revised 2006. 6. 27)







Warning: This layout is designed by Underground Disc Museum web-team
Please contact the webmaster if you would like to refer any information
Copyright ©Underground Disc Museum / 2000-2006

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送