夜想曲
Nocturnes - triptique symphonique


夜想曲という題は,ここではより一般的な,とりわけより装飾的な意味にとってほしい。したがって,夜想曲の慣行の形態ではなしに,特殊な印象と光とをめぐってこの言葉の包含するすべてが,問題になる。

<雲>。 これは空の不易のすがたである。やんわりと白みをおびた灰色の苦悩のなかに消えてゆく雲の,ゆっくりとわびしげな動きが見える。
<祭>。 これは,だしぬけに光がまぶしくさしこんでくる祭の気分(アトモスフェール)の踊るような動き、リズムであり,また,祭を横切りそのなかに溶けこんでゆく行列のエピソード(眩惑的でしかも夢のごとき幻影)である。しかし,行列の基調はあとに残り,いつまでも鳴りひびく。というわけで終始これは祭であり,その音楽とも全体のリズムに加担するきらきら輝く埃ともまざりあって一体になった,祭である。
<海の魔女
(シレーヌ)>。
これは,海とその数えきれないリズムで,それから,月の光に映える銀色の波のあいだに,魔女たちの神秘な歌があらいさざめいてよぎるのが,きこえる。

− ドビュッシー自身による解説文 −
曲目 :
@ nuages
A 祝祭 fêtes
B 海の精 〜シレーヌ sirènes

 (全3曲)
 
概説 : 
1892年に作曲に着手され,1899年までのおよそ7年を掛けた,ドビュッシーの印象主義的手法を代表する傑作。しかし,その創作過程が最も不明瞭な作品の一つ*。3曲からなる。標題の『夜想曲』は,スインバーン詩「夜想曲」(1876年)に着想したとされる。

当初は1892年に,アンリ・ド・レニエの詩に着想した『3つの黄昏の情景(Trois scènes au crépuscule)』としてまず構想された。次いで1894年には第一楽章が弦楽,第二楽章が管楽合奏,次いで終章を管弦楽の合奏による『(ヴァイオリンと管弦楽のための)夜想曲』として,ベルギーの作曲家でありヴァイオリニストであったウジェーヌ・イザイに献呈すべく再度構想された(ルロール宛書簡:1894年8月28日)。ドビュッシーはイザイに宛てて,「僕が愛し,感嘆しているユジェーヌ・イザイのために書かれたヴァイオリンと管弦楽のための三つの《夜想曲》が加わることになるだろう。それに,それらの《夜想曲》は彼だけにしか演奏できないんだ・・君はこのことについてどう思うかな?」(1896年10月13日)との書簡を送っている。しかし11月(17日か),イザイがこれを辞退したことから関係が疎遠になり,この版も破棄された**。ドビュッシーは1897年12月から稿を改めて作曲に入り,1898年6月25日には草稿を書き上げた。しかし,「『夜想曲』の三曲には,『ペレアス』の五つの幕よりもてこずった」と作者自身が述べている通り,9月14日には2楽章分をやり直し,翌1899年1月には全ての管弦楽配置を再度やり直すなど,数度の改訂が行われている。最終的に書き上げられたのは,1899年12月末であった。献呈者はジョルジュ・アルトマン。このほか部分的草稿が1901年元旦,「僕が夫であるという深い情熱的な喜びを込めて」の献辞を付けられて,リリー・テクシエに献呈されている。

当初,初演はコロンヌ管弦楽団によって行われる予定であったが,コロンヌはこれを断念。このため,ジョルジュ・アルトマンの仲介で,初演はシュヴィヤールに託され,1900年12月9日のラムルー管弦楽団定期演奏会において,「雲」と「祝祭」の2曲のみの形でなされた***。初演は好評をもって迎えられ,ガストン・カローは「彼は・・和声や響きを,限りなく革新的な諸関係に従って,組み合わせる術を知っている」と評し,ブリュノーは「和声やリズムだけで,作曲家の思考を最も独創的かつ最も驚異的なやり方で表現するには十分なのだ」とした。しかし,翌年に行われた全曲版の初演は,熱狂的な喝采を受けるいっぽう,第三曲の演奏中に野次が飛ぶなど,矛盾する反応を生みだしたという****



シュヴィヤール


注 記

* Lockspeiser(1962)は,「祝祭」だけが,金管の華やかなファンファーレと明瞭な拍動をもち,その祝典曲風で他の二作品と趣を異にしている点に注目し,この曲が書かれた時期をロシア皇帝ニコライ2世のフランス訪問(1896年10月6日にシェルブールへ来航)以降ではないかと推測している。Dietschy(1962)は,1894年8月28日付けルロール宛書簡中で,ドビュッシーが夜想曲を執筆しながら,「ごろつきの一掃されたブーローニュの森をしばしば散歩し」ていると記している点に着目し,1894年の夏頃に『祝祭』が構想されたのではないかとしている。

** イザイとは疎遠になったが,決して仲違いしたわけではなかった。初演の二年後,イザイが夜想曲をブリュッセルで初演することを決めた際に,これを伝え聞いたドビュッシーが彼に宛てた書簡(1903年12月30日)からも,このことは窺える。「・・そうと知ったときの私の喜びを,あなたには申し述べるまでもないでしょう。心残りなのは,極めてくだらない理由で,その演奏に立ち会えないことです。しかし,演奏は,私が夢見た通りのものになるだろうと確信しています」。

***当時ラムルー管弦楽団が利用していた《新劇場》が狭く,合唱団を入れる余地が無かったため,シュヴィヤールは初演を引き受ける際に,第三曲の「シレーヌ」を割愛して演奏するとの条件で引き受けた(ルシュール2003)。現在でも,合唱団が加わる「シレーヌ」は,しばしば省略される。

**** この理由の一端として,ルイ・ラロワによって書き留められた,作曲者立ち会いのもとでの最後の練習の模様は興味深い。シュヴィヤールは作曲者の注文に困惑し,「私はそれをもっとゆったりとぼかしてやりたいのだけれど−もっと速く?−おや,もっとぼかしてと−もっとゆっくりと?−もっとぼかして−私にはあなたの言わんとすることが分からない。諸君もう一度やり直そう!」と口にしている。また,シレーヌにおいて女声合唱が調子外れに歌うのを,作曲者は最後まで修正できず,当日の演奏会でベートーベンの交響曲を一緒に採り上げるシュヴィヤールの重々しい解釈にも困惑していたらしい。


Reference

平島三郎編著(1993)『ドビュッシー』音楽之友社,72頁。
F. ルシュール著・笠羽映子訳「伝記 クロード・ドビュッシー」. {Lesure, F. 2003. Claude Debussy, Biographie critique. Paris, Fayard.}
F. ルシュール著・笠羽映子訳「ドビュッシー書簡集」. {Lesure, F. 1993. Claude Debussy, correspondance 1884-1918, Paris, Hermann.}
Ashbrook, W. and Cobb, M.G. 1990. A portrait of Claude Debussy. Oxford: Clarendon Press. {Dietschy, M. 1962. La passion de Claude Debussy. Neuchâtel: Baconnière}
Barraque, J. 1962/1994. Debussy. Editions du Seuil.
Lockspeiser, E. 1962. Debussy: his life and mind volume 1, 1862-1902. New York, Macmillan.
Lockspeiser, E. 1972. Debussy. New York: McGraw-Hill.
Nichols, R. and Lesure, F.(eds.) 1987. Debussy letters. Harvard University Press.




作曲・出版年 作曲年: 1897年12月〜1899年12月(改訂版1930年,1964年)
出版: 1900年2月(フロモン社)
編成 フルート3(第3奏者はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、イングリッシュ・ホルン、クラリネット2、バスーン3、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、小太鼓、シンバル、ハープ2、女声合唱団(ソプラノ8,メゾ・ソプラノ8)、弦5部
※ラヴェルとバルダックにドビュッシーが依頼した2台ピアノ版もある。
演奏時間 約25分
初演 1900年 12月9日,カミーユ・シュヴィヤール(指揮)ラムルー管弦楽団、於コンセール・ラムルー(「雲」・「祝祭」のみ)
1901年10月27日,カミーユ・シュヴィヤール(指揮)ラムルー管弦楽団・女性合唱団(全曲初演)
推薦盤

★★★★★
"Orchestral Works vol. 1 :
La Mer / Nocturnes / Prélude à l' après-midi d'un faune" (Denon: CO-78774)

Emmanuel Krivine (cond) Orchestre National de Lyon : The Nederlands Kamerkoor Women's Choir
『夜想曲』は3部からなりますが、蓋しこの第3楽章『シレーヌ』は、出来不出来の差が最も露骨に出てしまう難曲中の難曲。オーケストラの透明感は勿論、合唱団の声が悪くても、解釈のピントやテンポがずれても、忽ち凡庸以下の駄演になってしまうのは、後年ますます様式的・和声的に希薄さと抽象性を増し、観念的な方向へと向かったドビュッシーの作風が,歌詞すらもない合唱を従え,限りなく茫洋としたこの形而上的な1曲に一つの帰結をみているためでしょう。天才的な冴えを見せたこの録音時のクリヴィヌは、リヨン管からまさに理想の『シレーヌ』を引き出しました。一音一音が夢幻の香りを放ち、艶めかしく蠢動し、生き生きと輝いています。ただただ、神懸かり的な感性の閃きがここにあります。ここに断言しましょう。これこそ『夜想曲』至高の名演奏です。ちなみにこの録音,その後廉価盤化され,現在では1000円ほどで買えるようになりました。ドビュッシーの管弦楽入門として一枚,という方には,これを薦めておけばまず間違いないと思います。

★★★★
"Jeux / La Mer / Nocturnes" (BMG : 74321 64616 2)
Lorin Maazel (cond) Schönberg Chor : Wiener Philharmoniker
天才的仏人指揮者マゼールが,なんとウィーン・フィルと組んだ久々のドビュッシー。ホルストの『惑星』やラヴェルの『スペイン狂詩曲』に聴けるこの人のバランス感覚の良さと,(推敲されていながら)自然な感情の体現には目を見張るものがあります。ライヴ録音を含みますが,彼のお陰で世界最高を自称する?ウィーン・フィルの現時点での水準がどの程度のもんか値踏みできる,またとない一枚が手に入ったというわけです。中身はさすがに世界トップ・レベル。抑揚が大きく,伸びやかな流動感を備えつつも細部に神経を行き渡らせるマゼールの指揮は特筆すべきものがありますし,一部に少々細かい乱れが垣間見える他には,オーケストラの音の深みや厚み,きめの揃い方も見事なものです。しかし,これを聴いて如実に再発見したことがあるのですが,その音色が,フランスのオーケストラとは全く違う!ウィーン・フィル(特に弦)はフランスのオケに比べ,遙かに音が締まって硬い!録音のせいかと思ったのですが,期せずして2種類の音源を合体しているこのCD,それでは説明がつきません。巷で言い古された言説「最初に聴くなら同国人の演奏で」は,曲解釈や演奏など,行為主体(ソフト)のほうにばっかり原因があるのかと思っていましたが,仏人マゼールの手になるこのCDを聴いて,「フランスと独襖って,楽器(ハード)の面でもこんなに距離があるんだナー」と改めて感じ入った次第です。作曲家と指揮者とオーケストラ,双方のお国柄の違いを端的に反映した奇妙な場違い感を除けば,演奏自体はかなり好いと思います。

★★★★
"La Mer / Nocturnes / Printemps / Rhapsodie No.1 / Prélude à l'Après-midi d'un Faune / Jeux / Images / Danses" (CBS : SM2K 68 327)
Pierre Boulez (cond) New Philharmonia Orchestra: Cleveland Orchestra
ゲンダイオンガクの世界で,理論家,作曲家,そして指揮者のどれでも成功した大御所ブレーズには,グラモフォンに移籍後の晩年と,才気走った中年期に,二度のドビュッシー録音があります。彼のドビュッシーといえば,圧倒的に知名度が高く,評価もされているのはグラモフォンのほうですが,ラヴェルはともかくドビュッシーに関しては,圧倒的にこの一度目の録音の水準が高いと思うのは私だけでしょうか。確かに,1960年代後半の録音なので,現代のオーケストラに比べると,ほんの少しばかりピッチが不揃いで,ざらっとした耳障りや居住まいの悪さを感じることもあるにはあります。しかし,譜面を細部まで読み込み,一切曲に酔った様子もなしに,ドビュッシーのあの香気を理路整然と音に置き換えていく冷徹な指揮ぶりと,蛇に睨まれた蛙の如く緊張しながら音を並べていくオケの緊張感の素晴らしさときたら,到底後年の録音の及ぶところではありません。とにかく外れのない秀才型のこの連続録音が,その品位の割にあまり巷で評判にならないのは,その高踏的で取っつきにくそうな表情のせいでしょう。ピアノでいえばミケランジェリですか。でも,取っつきにくいのは彼の完璧主義がゆえ。演奏の完成度は同時代の他盤とは比較にならないほど良いのでは。もっと聴かれて良い演奏です。

★★★★
"Nocturnes / La Mer / Prélude à l' après-midi d'un faune / Petit Suite" (EMI : TOCE-3040)
Jean Martinon (cond) Orchestre National de l'O.R.T.F. et Choeurs
仏国立放送管弦楽団を長いこと率いて活躍し,いまや古典的名録音と言って過言ではないドビュッシーの管弦楽作品集を残してもいるジャン・マルティノン。自身も作曲家だった彼は,アンゲルブレシュト,ピエルネら作曲家兼指揮者のお歴々と同様,近現代作曲家の積極的な擁護者となり,意外なところに意外な録音を多く残していった職人気質の指揮者でもありました。どちらかというと実直さの滲む指揮をする彼は,上述のクリヴィヌのように,自らの圧倒的な閃きとカリスマ性で大胆に譜面を読み替える天才肌の指揮はしない代わり,丁寧な推敲に基づいて曲の構造を良く掴み,匂い立つようなドビュッシーの芳香を「再現」していくタイプ。よく聴くと,結構その推敲の跡がちらちら透けて見えてしまい,理知的なあざとさが鼻につくのが難点ですけれど,いわゆる秀才型なので何を振っても大崩れしないのが最大の強み。秀才肌でいて「仏作って魂入れず」的なところも少ないので,彼の録音は中庸で,何であれ一般に薦めやすいのが美点です。この盤が,一位にもならない代わり古典的名盤などには必ず挙がってくるのも、そうしたところが理由の一つでしょう。

★★★☆
"Jean Fournet conducts Debussy :
Nocturnes / La Mer / Ibéria" (Supraphon : SU3421-2 011)

Jean Fournet (cond) Czech Philharmonic Orchestra
長いことオランダ室内管弦楽団を率いて活躍したジャン・フルネは,いっぽうでチェコ・フィルにも深く携わり,多くの優れた録音を残しています。ドビュッシーやオネゲルなど近代物の演奏を得意とする点でも,チェコ・フィルに関係していた点でも,フルネはあのセルジュ・ボードと良く似たタイプ。過小評価気味のところまで似ているのは困ったものです。フルネはチェコ管とも懇意で,本盤もこのコンビによる録音。実はセルジュ・ボードにもチェコ管を率いたドビュッシー録音があります。さらに残念なことに,そのボード盤でもせっかくの素晴らしい指揮にミソをつけたのが,チェコ管の珍妙な演奏。管部,特に木管ときたら弱いの一語。東欧圏で貧しかったのでしょうか。ボードの『牧神』に大きくケチを付けたソロ・フルートが,このフルネ盤でも再登場。『雲』を見事にお化け屋敷へと変貌させるその辣腕ビブラートには溜息しか出ません(謎)。指揮に関して言えばこのフルネ盤,曲の輪郭線を明晰に捉えたかなりの秀盤だけに,レベルの低いオケのせいで足を引っ張られて惜しい限り。でもこれってフルネのせいじゃないですよねえ?可哀相に。ひょっとしてボードとフルネがいまだに一流半扱いなのはチェコ管のせい?と下司の勘繰りをしてしまいますことよ。指揮者を志す方は得るところが多いはずです。ちまたの悪評に惑わされずこういう盤を是非聴いていただきたい。
 (評点は『夜想曲』のみに対するものです。)

(2001. 5. 23 / 2006. 3. 12 改訂)







Warning: This layout is designed by Underground Disc Museum
Please contact the webmaster if you would like to refer any information
Copyright : Underground Disc Museum / 2000-2006

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送