弦楽四重奏曲 ト短調
Premier Quatuor (à Cordes) en Sol mineur, op.10

「ドビュッシー氏の弦楽四重奏曲は,彼の作曲手法を明確に刻印したものだ。
極めて自由な形式にもかかわらず,全てが整然として明晰に構想されている。
旋律のエッセンスは凝縮され,それでいて芳醇な香りを持ち,
深く,詩的な独創性を伴った和声の中へと浸透してゆく。
ハーモニー自体も非常に大胆であるが,些かもぎこちなさや粗さを感じさせない。
・・こうした不協和音は不快どころか,
全体の複雑な流れの中では協和音よりもかえって調和しているほどだ」

Monsieur Debussy se complaît particulièrement aux successions d'accords étoffés,
aux dissonances sans crudité, plus harmonieuses en leur complication que les consonances mêmes...


ポール・デュカ
曲目 :
@ 第一楽章: 活気をもって,極めて決然と
première mouvement - animé et très décidé
A 第二楽章: 充分生き生きと,リズミカルに
deuxième mouvement - assez vif et bien rythmé
B 第三楽章: 穏やかに,そして表情豊かに
troisième mouvement - andantino, doucement expressif
C 第四楽章: 非常に躍動的に,情熱を持って
quatrième mouvement - très mouvementé et avec passion

 (全4曲)



概説:
1893年,ドビュッシー31才の作。ドビュッシーの評価を高める契機となった『牧神の午後への前奏曲』とほぼ同時期の1892年に着手された。循環形式をとり,重度にフランクの影響をあらわす一方で,ワグネリズムの影響を離れ,非機能和声と旋法表現に立脚した独自の語法への本格的な遷移を示す,最も早い時期の作品のひとつ。イザイ四重奏団に献呈され,同年12月に国民音楽協会定期演奏会で初演された。この演奏会では,ヴァンサン・ダンディの伴奏でウジェーヌ・イザイの弾くフランクのヴァイオリン・ソナタ,フォーレの『チェロとピアノのための哀歌』,ダンディの弦楽四重奏曲がそれぞれ演奏され,「主題の詩情や類稀な響きという点で,若々しいロシア」の影響がみられるとしたギ・ロパルツ(ギド・ミュジカル誌)や,「単純であると同時に複雑な,きわめて魅惑的な芸術作品」(オクターヴ・モース),「ガムランを想起させる和声の連なり」(モリス・クフラート)と評されたほか,翌年の楽譜出版に際しては,ポール・デュカからも(主に第一楽章について)高い評価を得たものの,大きな話題を呼ぶまでには至らなかった。

ドビュッシーはこの作品を書く一年ほど前の1892年頃から,7歳半年長の作曲家エルネスト・ショーソンと親しく交流するようになっていた。銀行家の息子で裕福だったショーソンは,フランクやダンディ,フォーレはもちろん,ドガやルノワール,ロダンら気鋭の若手芸術家とも広く交流していた。彼は貧しかったドビュッシーに経済的な庇護を与え,芸術家仲間への門戸を開き,いわば兄のような存在となる。こうした経緯から,弦楽四重奏曲も当初はショーソンへ献呈することが考えられていた。しかし,この作品に対するショーソンの反応は好意的なものではなく,ドビュッシーを失望させた。そこでドビュッシーは「あなたのため,そして心からあなたのためのものであるような作品を別途書くことにし,私の形式を気品高いものとするよう努めることにしましょう」(1894年2月5日)と約束し,献呈を取りやめている
*。しかしながら,この約束は遂に実現しなかった**

当時ドビュッシーには,1890年から苦楽を共にしてきた愛人のガブリエル(=ギャビー)・デュポンがいた。エキゾチックな美貌を備え,才知に長けた彼女は,年若いドビュッシーの芸術家としての才気をいち早く見抜き,様々な内職をしては私生活を助けることを誇りにするような女性であったらしい。しかし,ドビュッシーを社交界へ引き上げ,作曲家として専心できる安定した家庭を持たせようとしていたショーソンとルロル(14歳年長)にとって,独立心旺盛でエネルギッシュなギャビーは好ましくない存在であった。このことが,《選ばれた乙女》の初演で独唱を担当したサロンの歌手テレーズ・ロジェ(Thérèse Roger)とドビュッシーの間で婚約の話が持ち上がった背景にもあったと思われる。サン=マルソー夫人はドビュッシーにプロポーズを促し,ショーソンがこれを応援。義兄のルロルからショーソンに宛てた書簡(1894年2月25日付)によれば,4月16日には挙式させ,ヴァノー通りに新居を借りる手配まで整えられていたという。ショーソンは愛人との関係の清算を求め,ドビュッシーもこれに応じようとはしていたようだ
***。しかし彼は結局,ギャビーとの同棲を解消することはなく,3月下旬にテレーズとの婚約を解消。社交界の習わしにこだわるショーソンとドビュッシーとの友情は,これを最後に途絶えることになる****





ルザンシーの別荘で,ショーソン,ルロルらに囲まれ
ピアノを弾くドビュッシー(1893年5月)


ギャビー・デュポン テレーズ・ロジェ



注 記

* 結局,この弦楽四重奏曲は,初演を手掛けたイザイ四重奏団に献呈されている。ところで,この曲の正式な標題は「弦楽四重奏曲第一番ト短調,作品10」であった。ドビュッシーは1894年3月の書簡で,《弦楽四重奏曲第二番》を,ヴァイオリンとピアノのためのソナタとともに,いったんは着手していたことを示唆している。しかし,これらはいずれも日の目を見ていない。本作品を除き,ドビュッシーが自作に作品番号を付けることは一切無かったため,Lockspeiserはこれを,堅苦しい番号付けの慣習に対する一種のアイロニーだったのではないかと推測している。
** ちなみにショーソンも同時期,この曲をピアノ連弾版に編曲することを計画していたが,これも10年後,A.バンフェルドによって編曲されるまで実現されぬままに終わっている。
*** 慣習や規範を重んじる社交界において,恋愛や婚姻がどのように取り扱われていたかを,現代人の感覚でのみ推し量るのは早計である。ギャビーとテレーズとの板挟みになったドビュッシーと,ショーソンを取り巻く人間との間の思惑の齟齬は,「テレーズ・ロジェ嬢とクロード・ドビュッシーとの間に結婚の計画があるのです!それはまったく現実離れしていますが,その通りで,おとぎ話のようにそうなったのです!私はロジェ嬢に対して深い愛情を感じていましたが,私にとって,そのことはとても認められがたいことのように思われたので,あえてそのことは考えないようにしていたのです!」(アンリ・ルロル宛書簡:1894年3月)との記述から伺うことができよう。いっぽうで,ドビュッシーは「私の最後の愛人は,二月のある時,自分の境遇を改善するために,出ていきました」とも書いており,経済的にも人脈の上でもドビュッシーの庇護者であったショーソンの要請と,ギャビーへの愛情との間で苦悩する様子の一端を伺わせている(併せてDietchyの記述も参照のこと)。こののちドビュッシーと生涯の友となるピエール・ルイスが,「ドビュッシーを応接間の歌い手(サロン歌手)と結婚させるなんて,重大な浅慮だ。この結婚は悪い結果しかもたらさないだろうと確信する。友のためを思うと辛い限りだ」(1894年2月24日付親族宛書簡)と,対照的な感想を持っていた点は注目してよいだろう。
**** ショーソンの娘エチャネット女史がLockspeiserに宛てた書簡(1959年5月15日)によると,テレーズとの婚約破棄のほかに,生活苦にあったドビュッシーによる再三の無心(特にロジェ女史との婚約に絡めた無心)も,ショーソンの不信を招く結果になったようだ。実際,ドビュッシーがショーソンに宛てた最後の書簡では,「・・私はロジェ夫人に対して私の借金を何ら隠し立てしませんでした。そして私は,友人Xが私のただひとりの債権者となってくれると夫人に言うつもりです!さらに,別の振る舞い方をするのは私にとって不可能でしょう・・(中略)・・ですから,さらに一五〇〇フランを,まずいくつかの借金を清算するために,私に貸してくださる必要があります!」との記述がある。これは《婚約の障害には私の借金があり,これを解決するためにもあなたの援助が必要だ》の婉曲的な言い換えとも読める。この手紙の数日後に,ドビュッシーは婚約を破棄した。



Reference
平島三郎編著(1993)『ドビュッシー』音楽之友社,72頁。
F. ルシュール著・笠羽映子訳「伝記 クロード・ドビュッシー」. {Lesure, F. 2003. Claude Debussy, Biographie critique. Paris, Fayard.}
F. ルシュール著・笠羽映子訳「ドビュッシー書簡集」. {Lesure, F. 1993. Claude Debussy, correspondance 1884-1918, Paris, Hermann.}
Ashbrook, W. and Cobb, M.G. 1990. A portrait of Claude Debussy. Oxford: Clarendon Press. {Dietschy, M. 1962. La passion de Claude Debussy. Neuchatel: Baconniere}
Barraque, J. 1994 (1962) Debussy. Editions du Seuil.
Gallois, J. 1994. Ernest Chausson. Fayard.
Lesure, F. and Nichols, R. (eds.) 1987. Debussy Letters. Faber and Faber.
Lockspeiser, E. 1962. Debussy: his life and mind volume 1, 1862-1902. New York, Macmillan.
Lockspeiser, E. 1972. Debussy. New York: McGraw-Hill.



作曲・出版年 作曲年: 1892年〜1893年2月
出版: 1894年,デュラン社
編成 弦楽四重奏(ヴァイオリン2,ヴィオラ1,チェロ1)
演奏時間 @(6分),A(3分30秒),B(6分30秒),C(7分)
初演 1893年12月29日,於国民音楽協会定期演奏会
演奏:イザイ四重奏団
・第一ヴァイオリン・・・ウジェーヌ・イザイ(Eugène Ysaÿe:1858-1931)
・第二ヴァイオリン・・・マシュー・クリックボーム(Mathieu Crickboom:1871-1947)
・ヴィオラ・・・ルキエン・ヴァン・ホウト(Lucien Van Hout:1863-1945)
・チェロ・・・ジョセフ・ジャコブ(Joseph Jacob:1865-1909)
推薦盤

★★★★★
"Quatuor en sol Mineur (Debussy) Quatuor en Fa Majeur (Ravel)" (EMI : CDC 7 47347 2)
Alban Berg Quartet: Günter Pichler, Gerhard Schulz (vln) Thomas Kakuska (vla) Valentin Erben (vc)
2人が,その才気ゆえにいつも並置されるのは仕方ないとしても,こと室内楽に関しては初期と最晩年にしか室内楽を書かなかったドビュッシーが見劣りするのは避けられない事態。ピアノ三重奏のカップリングを見るたび,可哀相に思えてなりません。その点,ようやく2人が各々の語り口で曲を書くようになった弦楽四重奏のほうは遙かに公平。カップリングが半ばお決まりなのも,そんな事情が多少ならず絡んでおりましょう。1879年の三重奏から14年を経た『牧神』目前のドビュッシーは,格段に自己の音色(おんしょく)を確立。全体像は循環形式に則りつつも,全音階と旋法,変拍子群,平行和音が随所に使われ,「海」の香りが充満。旋律のそこここから,「スペイン狂詩曲」のエキゾチズムや油絵系の鮮やかな色合いを引き出すラヴェルと,くっきり棲み分けします。ベルク四重奏団の演奏は,ゲルマン楽壇らしい硬く光沢ある音色と,一糸乱れず協調して相貌を削り出していく描出力,そしてデュナーミクを大きくとり,拍節を鋭く斬りつけながら,絶えず理性の抑制を利かせ曲構成を解析していく冷徹な譜読みが高次元に和合。ちょうどブレーズ指揮の『マラルメの詩』がそうであったように,同じ原曲から他盤とはまるで異なる世紀末的な頽廃美を,冷ややかな眼差しですくい取る。極めて個性的な演奏にもかかわらず,技術力と解釈力とが高次元で統合されているため,その妖しく冷ややかな鳴動に圧倒的な説得力が伴います。「標準的な」の言葉が,「平均的な」の意味で用いられるのなら,数多録音の中で本盤が占める位置は,相当に異端なものでしょう。しかし,「この曲のリファレンスとして依拠するに足る,首尾一貫した演奏である」の意ならば,本盤は技術的にも,解釈の説得力においても,間違いなく最上級の賛辞を以て薦められる録音といえましょう。

★★★★★
"String Quartet in G Minor (Debussy) String Quartet in F (Ravel)" (RCA : BVCC-37349)
Julliard String Quartet: Robert Mann, Isidore Cohen (vln) Raphael Hillyer (vla) Claus Adam (vc)
前年にジュリアード音楽院の院長となったウィリアム・シューマンの提案を受け,1946年春に音楽院のレジテント・アンサンブルとして結団されたのがジュリアード四重奏団でした。その後彼らは,数度のメンバー交代を経て半世紀に及ぶ長い活動を展開します。もともと全員が腕利きだった彼らは,作曲家の紹介よりもアンサンブル自体の精度向上に主眼を置いており,またウェーベルンやバルトークも「私たちにはもう《古典》だ」と考えて精力的に採り上げる姿勢も併せ持っていました。おかげでメンバーが変わるたびにアンサンブルの呼吸を再確認するかの如くレパートリーを再録音。ラヴェルの四重奏は通算四度に及びました。この録音は通算二回目,黄金期とされる1959年のもの。なにぶんにも半世紀前,ステレオ黎明期の録音。どことなくレコード盤を思わせるじりじり高域の毛羽立った集音環境や,あからさまな等速等圧のビブラートには時代を感じる面もあります。しかし,そうした難点を軽々と超越するのが,だらだらとテンポを崩して叙情を垂れ流しがちな現代の録音とは一線を画す,厳しい佇まい。細部に至るまでかっちり襟の整った演奏は,半世紀前とは思えないほど高密度の力感と一体感があり,目を見張りました。それでいてベルク四重奏団のような冷ややかな分析臭はなく,前者がクラスで成績一番の子とすれば,こちらは学級委員長に選ばれる子,といった感じですか(笑)。ちなみにその古臭い録音。当初,パソ子用のミニ・スピーカーに携帯型CDプレーヤーを接続して鳴らしたときは,「紙みたいにペラッペラやな・・」とゲンナリしましたが,自宅のまともなスピーカーで鳴らすと印象激変。この手の古めかしい録音は,再生環境にかなり印象を左右されますので,「ひでぇ音やな・・」と思われた方は,中古屋に叩き売る前にバラ売りクラスのステレオで聴いてあげてください。少なくともこの録音に関しては,狭いスタジオ内で残響処理を全く加えず録った集音がそう感じさせるだけで,決してそう酷いものではありません。

★★★★
"Quatuor à Cordes / Introduction et Allegro (Ravel) Quatuor à Cordes, op.10 (Debussy)" (Erato : WE807)
Lily Laskine (hrp) Alain Marion (fl) Jacques Lancelot (cl) Quatuor Via Nova
いつも一緒のドビュッシーとラヴェルの弦楽四重奏に,ラヴェルの『序奏とアレグロ』をカップリングした本盤は,結団後間もなかったヴィア・ノヴァ四重奏団の初期録音。とはいえ,ドビュッシーを入れた1970年当時のメンバー(エルヴェ・ル・フロシュ,ジェラール・コセ,ルネ・ベネデッティ)は,第一ヴァイオリンのジャン・ムイエールを除いて全員入れ替わり,トゥルーズ室内のコンサートマスターになるアラン・モグリア,シュミットの室内楽でもお馴染みロラン・ピドゥが新メンバーに加わり,もう実質別のカルテット。現在でもその状況には大きな変化がなく,実質上は第一ヴァイオリンのムイエール氏が主導権を握ったアンサンブルなのでしょう。彼らの演奏流儀はいかにもフランス人。グリサンドで抑揚をたっぷりと利かせながら,主旋律の大半をスラー気味に弾き,艶めかしい嬌態と流れるようなフォルムを作り出そうとする。細部の正確な描出よりも,全体像から漂う豊かな香気を重視した演奏といえましょう。ラヴェルは1969年,ドビュッシーは1974年と,今から四半世紀以上前の録音。細部のピッチや音符にはちょこっと首を傾げるところもありますけれど,現代のアンサンブルにはない,セピア色の暖かい香りがまだ残る演奏は得難いものがあり,古典的な名録音のひとつには違いありません。彼らの『序奏とアレグロ』はあまり期待していませんでしたが,仏人気質溢れる情感移入の妙と,現代に比べかっちりとした演奏上の教条が好ましく噛み合い,驚くほど雰囲気の良い演奏に仕上げていて快哉を叫びました。ただ,残念ながら女帝ラスキーヌさんのハープがどうも・・。彼女ほどのビッグネームにまさか・・とは思うんですけど,何だか微妙に音程狂ってません?録音のせいですかねえ?技術的には完璧ながら,微妙に狂ったハープの音が(特にユニゾン時に)気になるのは残念です。まあ,「味がある」といえばそれで済ませられないこともない程度ではあるのですが・・。
余りCDを所有していないので,以下は準備中。良いのが在れば少しずつ足します

---
"Quatuor à Cordes en sol Mineur (C. Debussy) Quatuor à Cordes en Fa Majeur (M. Ravel)" (Seraphim : TOCE-8942)
Quatuor Parrenin
(推薦の採否は未定。鑑定中)
 (評点は『弦楽四重奏曲』のみに対するものです。)

(2006. 7. 15 uploaded)


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