ヴァイオリン・ソナタ
Sonate pour Violon et Piano


私はもうただの病んだ老人だ・・
私の書く曲にはもう,明日からの自分の姿はない。
昨日までの自分に立脚したものばかりだ。


(ロベール・ゴデ宛書簡:1916年11月6日)
曲目 :
@ 第1楽章 : アレグロ・ヴィーヴォ
Première mouvement : allegro vivo
A 第2楽章 間奏曲 : ファンタスク・エ・レジェ
Deuxième mouvement : Intermède, fantasque et léger
B 第3楽章 終曲 : トレ・アニメ
Trosième mouvement : Finale: Tres animé

 (全3曲)



概説 :

ドビュッシーは室内楽作品と呼べるものが極めて少ない作曲家であった。ヴァイオリンのための器楽曲は好個の例で,ジャック・デュラン宛書簡(1894年6月)に,その最初の試みが記されているものの結局これは実現せず,形となったのはようやく最晩年。それぞれ異なる楽器編成のために,合計6作に及ぶソナタの作曲を構想したときである。しかも,既に癌が進行していた*作曲者自身の死(1918年3月26日)により,3作目となるこのヴァイオリン・ソナタを最後に,計画は途絶することとなった。

1915年12月7日,ドビュッシーは癌の手術を受ける。1916年に入ってしばらくは予後が極めて芳しくなく,およそ作曲にあたれる状況ではなかった。当時看病にあたっていた妻エマがヴァレリー=ラドへ宛てた書簡には,猛烈な痒みに悩まされるドビュッシーの姿が生々しく語られている。彼がようやく外出ができるようになり,作曲活動へ戻ることができたのは,秋も深まった10月前後のことであった。このヴァイオリン・ソナタはその直後,11月から12月に掛けて着手され,4ヶ月後の翌年3月にほぼ書き上げられた。しかし,自らの死を予見していたのか,ドビュッシーは執拗に「終章」の校訂を繰り返し,その回数は六度に及んだという
**


最晩年の作曲者
(1917年)
初演のプログラム

全体は三楽章からなり,標題にこそ掲げられなかったものの,ト短調の調性を基調に持つ。作曲者自身が「自らの尾を食む蛇の如く」(ゴデ宛書簡:1917年5月7日)と形容するとおり,先行する『フルート,ヴィオラとハープのためのソナタ』と同様の循環形式を採用。この後に構想されていた6番目のソナタがバッハへの捧げものであったことからも,古典礼讃の姿勢が伺えるいっぽう,後年の彼に特有の深い陰影感と儚げな幻想性,ジプシーのヴァイオリンを思わせる,呪術的で野趣に富んだ拍動が交錯し,この楽器から得も言われぬ豊かな表情を引き出すことに成功している。彼は,俗にそう見なされている如く単純な古典音楽の逸脱者ではなかったことを,この曲は雄弁に物語っていよう。初演はガストン・プーレ(Gaston Poulet)***のヴァイオリンに作曲者自身のピアノ伴奏で1917年5月5日になされ,曲は妻のエマに献呈された。

自筆譜はフランス国立図書館(Bibliothèque National, Paris)蔵(収蔵番号は各々Ms922:19頁,Ms15380:9頁,Ms17678:終曲部分の8頁,Ms17732:7枚)。




注 記

* ロベール・ゴデ宛書簡(1916年12月11日付)に,「(昨日デュラン邸で聴いた「フルート,ヴィオラとハープのためのソナタ」の)作曲者ドビュッシーは・・自分すらもう本人とは分からないほど・・怖ろしくむくんだ顔をしています」と記しているとおり,この頃既にドビュッシーの癌はかなり進行していたようである。1917年頃,芸術院の総会でドビュッシーと出会ったウジェーヌ・ベルトー(Eugène Berteaux)は,「彼は非常に憔悴していた。土気色をした青白い顔で,苦しげな笑みを浮かべ,その息は浅く乱れていた。・・彼は大儀そうに階段を廻って上っていった。それが私の見た彼の最後の姿だった」と記述している。

** 「あなたの書いた6つの【フィナーレ】のうち,5曲はどれも良い曲だと思います。そして,6番目の版が突出して素晴らしいことも,自信をもって断言できます」とドビュッシーへ伝えるポール・デュカからの書簡(1917年4月6日)が残されている。

*** ガストン・プーレ(1892-1974)は,フランスのヴァイオリン奏者,指揮者。パリ音楽院で学び1910年にヴァイオリン科で一等賞を獲得。翌年ブリュッセルで,ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏して国際的なデビューを果たした(指揮はウジェーヌ・イザイ)。1912年にガストン・プーレ四重奏団を結成し(他の3名はVictor Ocutil, Amable Massis, Louis Ruyssen),演奏活動にあたった。指揮者としても著名で,1927年にはサラ=ベルナール劇場(Théâtre Sarah-Bernhardt)にコンセール・プーレを創設。1935年に同楽団がコンセール・シオアン(Concert Siohan)となって発展的解消するまで運営。また,1932年から1944 年に掛けてはボルドー音楽院の院長となり,ボルドー管弦楽団の指揮者にも就任。1940年から1945年にはコンセール・コロンヌの指揮者も務めた。教育者としても,1944年にパリ音楽院室内楽科教授へ就任。1962年に引退するまで職責を全うしている。小澤征爾が優勝したことで日本人に馴染みの深いブザンソン音楽祭は,プーレが創設したものである。ドビュッシーとは少なからず因縁があり,本ソナタの初演のほか,『聖セバスチャンの殉教』をブエノスアイレスで初演したのも彼である(1928年)。

ガストン・プーレ
Gaston Poulet (1892-1974)



Reference
Ashbrook, W. and Cobb, M.G. 1990. A portrait of Claude Debussy. Oxford: Clarendon Press. {Dietschy, M. 1962. La passion de Claude Debussy. Neuchâtel: Baconnière}
Barraqué, J. 1994 (1962). Debussy. Éditions du Seuil. 250p plus tables.
Spieth-Weissenbacher, C. 2004. Gaston Poulet. In New Grove Online. Oxford University Press.
Lockspeiser, E. 1972. Debussy. New York: McGraw-Hill.




作曲・出版年 作曲年: 1916年10月〜1917年3月下旬
出版: 1917年(デュラン社)
編成 ヴァイオリン,ピアノ
演奏時間 約13分(第1曲約4分30秒,第2曲約4分,第3曲約4分30秒)
初演 1917年5月5日,ガストン・プーレ(ヴァイオリン) クロード・ドビュッシー(ピアノ)
推薦盤

★★★★★
"Sonate pour Flûte, alto et Harpe / Sonate pour Violon / Sonate pour Violoncelle" (Accord: 205152)
Pascal Rogé (p) Pascal Bernold (fl) Bruno Pasquier (vla) Frédérique Cambreling (hrp) Regis Pasquier (vln) François Guye (vc)
山のように聴いてきたわけではありませんけれど,この曲には良い演奏が少ないですねえ。というのもこの作品,聴けば聴くほどクラシック演奏家泣かせ。例えばやたらジプシー臭のポルタメントが多い2楽章は,ラヴェルのブルースがそうであるような「ジャズジャズしてますよ」的色目を使って,卑近に貶めることのないよう弾かなければなりませんし,一聴後期ロマン派のように儚くエレガントな第1楽章は,やたら凝った変拍子が多用され,実のところリズムのセンスが相当に良くないと,絡まった操り人形の如く不格好になる。奔放かつ軽やかな即興性を失わず,着物姿の女性のうなじの如き官能をほの見せつつも,着物をはだけるのは,あくまで無粋。極めて厳しい条件です。この難題を今のところ,最も上手くクリアしているのが本盤。技術だけ取ればもっと優れた演奏はあるのですが,とにかくヴァイオリンが実に軽やかで即興的。譜面を読んだ作為の汚れをまるで感じさせず,見事なまでにナチュラル。曲が実に生き生きと歌い,フレーズに意志がある。これはもう教えてできるもんじゃあないですねえ。ソナタにおけるフランソワ的魔術の横溢した隠れ名演盤。本盤を無視している皆さん。フランソワを誉めてなぜこれがダメ?ぜひ偏見なしに御一聴を。

★★★★
"French Violin Sonatas:
Sonata for Violin & Piano (Debussy) Sonata Posthumous (Ravel) Sonata for Violin & Piano (Lekeu)"
(Denon : CO-72718)
Jean-Jacques Kantorow (violin) Jacques Rouvier (piano)
フランスを代表する2人の中堅名手が残したソナタ集です。ヴァイオリンのカントロフは,僅か19才でパガニーニ国際に優勝した名手。そこへ至るまでにロン=ティボー,シベリウス,エリザベス,モントリオールの各国際で軒並み優勝した怪童でした。ルヴィエのほうも多言を要しますまい。カザルス,ロン=ティボー,ヴィオッティの各コンクールに入賞した人で,ラヴェルやドビュッシーは得意中の得意です。技量確かなこの両者の顔合わせが,まさしく最良の形で結実したのがこの録音。甘美で少し陰りのあるハスキーな音色がパリ楽壇らしさを感じさせる,カントロフのヴァイオリンが圧倒的に素晴らしい。目も眩むようにぴちぴちと跳ね回る技巧と,鋭角的な切れ味,熱情をたたえた演奏。あまり演奏のないこの曲の代表的な名演といって良いのではないでしょうか。この顔合わせを企画したのが日本人スタッフであったという事実。ちょっと誇らしいですね。欲を言えば,ヴァイオリンにもう少しコクや陰影が欲しかった気がしますが,これは贅沢というものでしょうか。

★★★★
"Sonata for Violin and Piano (Franck) Sonata for Violin and Piano / Sonata for Flute, Viola and Harp (Debussy) Introduction and Allegro (Ravel)" (Decca : 421 154-2)
Kyung Wha Chung (vln) Radu Lupu (p) Osian Ellis (hrp) The Melos Ensemble
1948年韓国出身のキュンファ女史は,6才でヴァイオリンを始め,12才でジュリアード音楽院に進学。ヨゼフ・シゲティやサイモン・ゴルドベルクに師事したのち,1967年にレヴェントリット国際コンクールで優勝して知られるようになりました。いかにも韓国人らしく,熱の籠もった高音圧の鳴動と,磨かれた美音は魅力的。2つのソナタでは,冒険の可能なドビュッシーのほうで,彼女の美点を色濃く聴けます。少なからず取って付けたような居住まいの悪さこそあれ官能的にも演出できており,細かいパッセージが正確なのはさすが一流。狂おしくも儚げな風情を漂わせ,挑み掛かるように弾けていて悪くない。その美点が最も良い形で発揮されているのは第三楽章でしょうか。わざとらしいのはわざとらしいんですが,大仰なまでに利かせたシンコペーションが一応「あたしなりに精一杯遊んだんだからっ!」的なウブさを感じさせ,微笑みを誘いますし,彼女の美点であるアグレッシブな弾きっぷりが上手く曲想に馴染み,首尾一貫したまとまりを見せている。この1曲だけなら,星をあと半分差し上げても良い出来です。ただし,併録のフランクはおまけ程度。途端に遊び心が後退し,フレーズの表情が扁平。どのフレーズも同じような表情をつけて,スラー気味に抜いていく,生気の抜けた演奏に終始します。ラヴェルの演奏はメロス・アンサンブルの旧盤を抱き合わせたもので,これも少々興醒めを誘いますですねえ・・。
 (評点は『ヴァイオリン・ソナタ』のみに対するものです。)

(2008. 7. 12)








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