ドビュッシーは室内楽作品と呼べるものが極めて少ない作曲家であった。ヴァイオリンのための器楽曲は好個の例で,ジャック・デュラン宛書簡(1894年6月)に,その最初の試みが記されているものの結局これは実現せず,形となったのはようやく最晩年。それぞれ異なる楽器編成のために,合計6作に及ぶソナタの作曲を構想したときである。しかも,既に癌が進行していた*作曲者自身の死(1918年3月26日)により,3作目となるこのヴァイオリン・ソナタを最後に,計画は途絶することとなった。
1915年12月7日,ドビュッシーは癌の手術を受ける。1916年に入ってしばらくは予後が極めて芳しくなく,およそ作曲にあたれる状況ではなかった。当時看病にあたっていた妻エマがヴァレリー=ラドへ宛てた書簡には,猛烈な痒みに悩まされるドビュッシーの姿が生々しく語られている。彼がようやく外出ができるようになり,作曲活動へ戻ることができたのは,秋も深まった10月前後のことであった。このヴァイオリン・ソナタはその直後,11月から12月に掛けて着手され,4ヶ月後の翌年3月にほぼ書き上げられた。しかし,自らの死を予見していたのか,ドビュッシーは執拗に「終章」の校訂を繰り返し,その回数は六度に及んだという**。
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最晩年の作曲者
(1917年)
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初演のプログラム |
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全体は三楽章からなり,標題にこそ掲げられなかったものの,ト短調の調性を基調に持つ。作曲者自身が「自らの尾を食む蛇の如く」(ゴデ宛書簡:1917年5月7日)と形容するとおり,先行する『フルート,ヴィオラとハープのためのソナタ』と同様の循環形式を採用。この後に構想されていた6番目のソナタがバッハへの捧げものであったことからも,古典礼讃の姿勢が伺えるいっぽう,後年の彼に特有の深い陰影感と儚げな幻想性,ジプシーのヴァイオリンを思わせる,呪術的で野趣に富んだ拍動が交錯し,この楽器から得も言われぬ豊かな表情を引き出すことに成功している。彼は,俗にそう見なされている如く単純な古典音楽の逸脱者ではなかったことを,この曲は雄弁に物語っていよう。初演はガストン・プーレ(Gaston Poulet)***のヴァイオリンに作曲者自身のピアノ伴奏で1917年5月5日になされ,曲は妻のエマに献呈された。
自筆譜はフランス国立図書館(Bibliothèque National, Paris)蔵(収蔵番号は各々Ms922:19頁,Ms15380:9頁,Ms17678:終曲部分の8頁,Ms17732:7枚)。 |
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注 記
* ロベール・ゴデ宛書簡(1916年12月11日付)に,「(昨日デュラン邸で聴いた「フルート,ヴィオラとハープのためのソナタ」の)作曲者ドビュッシーは・・自分すらもう本人とは分からないほど・・怖ろしくむくんだ顔をしています」と記しているとおり,この頃既にドビュッシーの癌はかなり進行していたようである。1917年頃,芸術院の総会でドビュッシーと出会ったウジェーヌ・ベルトー(Eugène
Berteaux)は,「彼は非常に憔悴していた。土気色をした青白い顔で,苦しげな笑みを浮かべ,その息は浅く乱れていた。・・彼は大儀そうに階段を廻って上っていった。それが私の見た彼の最後の姿だった」と記述している。
** 「あなたの書いた6つの【フィナーレ】のうち,5曲はどれも良い曲だと思います。そして,6番目の版が突出して素晴らしいことも,自信をもって断言できます」とドビュッシーへ伝えるポール・デュカからの書簡(1917年4月6日)が残されている。
*** ガストン・プーレ(1892-1974)は,フランスのヴァイオリン奏者,指揮者。パリ音楽院で学び1910年にヴァイオリン科で一等賞を獲得。翌年ブリュッセルで,ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏して国際的なデビューを果たした(指揮はウジェーヌ・イザイ)。1912年にガストン・プーレ四重奏団を結成し(他の3名はVictor
Ocutil, Amable Massis, Louis Ruyssen),演奏活動にあたった。指揮者としても著名で,1927年にはサラ=ベルナール劇場(Théâtre
Sarah-Bernhardt)にコンセール・プーレを創設。1935年に同楽団がコンセール・シオアン(Concert
Siohan)となって発展的解消するまで運営。また,1932年から1944 年に掛けてはボルドー音楽院の院長となり,ボルドー管弦楽団の指揮者にも就任。1940年から1945年にはコンセール・コロンヌの指揮者も務めた。教育者としても,1944年にパリ音楽院室内楽科教授へ就任。1962年に引退するまで職責を全うしている。小澤征爾が優勝したことで日本人に馴染みの深いブザンソン音楽祭は,プーレが創設したものである。ドビュッシーとは少なからず因縁があり,本ソナタの初演のほか,『聖セバスチャンの殉教』をブエノスアイレスで初演したのも彼である(1928年)。
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ガストン・プーレ
Gaston Poulet (1892-1974)
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Reference
Ashbrook, W. and Cobb, M.G. 1990. A portrait of Claude Debussy. Oxford: Clarendon Press. {Dietschy, M. 1962. La passion de Claude Debussy. Neuchâtel: Baconnière}
Barraqué, J. 1994 (1962). Debussy. Éditions du Seuil. 250p plus tables.
Spieth-Weissenbacher, C. 2004. Gaston Poulet. In New Grove Online. Oxford University Press.
Lockspeiser, E. 1972. Debussy. New York: McGraw-Hill. |