暗愚楽月報
The Underground Disc Review
第71号

「購入しますか」。問うAmazonに
イエスと回答イブだから

Editer's Note

今月の金賞(D'OR)


★★★★★
Diederik Wissels Trio "Tender is the Night" (B-Sharp : CDS 075)
@niubi Azephir Bwhy not? Cpandora Dce que je pense que tu penses que je pense Etender is the night Flisten to the loon Gwhere were you? Hta matete Iepitaphe pour la Belgique
Diederik Wissels (p) Philippe Aerts (b) Jan De Haas (ds)
活動拠点をブリュッセルに置いてるせいか,脳内ではベルギー系の印象が強いディーデリック・ウィッセルズは,1960年ロッテルダム生まれのオランダ人。ベルギーには8歳の頃移住し,1978年にはバークレー音楽院へ留学。ケニー・ドリューとジョン・ルイスに師事。1984年の卒業後はジョーヘンやチェットら渡欧組の脇を固めて頭角を表しました。彼は歌手のデヴィッド・リンクスとの双頭コンボを長く活動の中心に据えており,1994年には『ハイロック・ソングストレス』でルモンド誌の最高賞(CHOC)を獲得。1999年には『バンダルカー』で金のジャンゴ賞にノミネートされ,2006年には同賞を受賞しました。同郷のイヴァン・パデュアールに通じる叙情性が,彼のピアニズムの大きな魅力。作曲センスが非常に優れたところも良く似ており,その健筆は,1998年にベルギー国営放送から贈られた年間最優秀作曲家賞で証明済み。それだけに,パデュアールとの唯一の違いがトリオ録音にまるきり興味がない点・・というのは隔靴掻痒というか何というか。デビュー盤にあたる本1990年盤が,その後の録音遍歴ゆえに突出した存在感をもってしまったのも,仕方ないといえましょう。幸運だったのは,この唯一のトリオ作が,大変好内容なことですか。耳当たりは丁度,パデュアールの秀作『クレール・オブスキュール』と良く似ている。曲によっては若干,フレーズをまとめきれない部分も散見され,若さは滲むも,全曲自作した楽曲の美しさと,確かな技巧,ヤン・デ・ハースのシャープなシンバルを核にかっちり追随するリズム隊と,いいところが揃っている。レーベルがマイナーなせいか,全く再発の見込みなし。トリオ作をまるで作ってくれない人なので,本盤は二重三重に貴重でしょう。どこか版権を買って再発してくれないもんでしょうか。澤野さんあたり,駄目ですか?






Recommends


Arthur Honegger "Les Mélodies" (Timpani : 1C1140)
Brigitte Balleys (msp) Jean-François Gardeil (btn) Billy Eidi (p)
オネゲルの歌曲は大きく2つの時期に分かれており,一方は1920年に掛かるまでの4年ほどに集中。一方は1940年代に入ってからぽつりぽつりと書かれた晩年の作品群です。初期作品『4つの歌』や『ポール・フォルの3つの詩』,『死せる自然』,『アポリネールの3つの詩』などは,どこから切ってもまるまるドビュッシスト。悪く言えば自己が未確立なまま憧憬する青年の習作なんでしょうけれど,天下のオネゲルだけに,それでも充分すぎるほどさまになっている。こんな艶めかしい曲も書ける人だったとは。ドビュシーいちずの彼がコクトーのせいでぐらぐら揺らぎ(『6つのポエジー』),『サルタリス』では深い沈鬱と思索の世界に降りてくる。人間オネゲルの生真面目すぎるがゆえの脆さが,色濃く投影された歌曲集ではないでしょうか。歌曲集だけに,他ジャンルに比べ曲想は驚くほどメロディアスで甘い。全ジャンル含めて,最も聴きやすい部類に入り,最も入り込みやすいCDになっていると思います。演奏するは,マルタンの怪唱が記憶に新しいブリジット・バレーズ女史と,ルムランの歌曲集が見事だったガルデールさん。ピアノは老いて大成したビリー・エイディ。ガルデルさんのお声が若干通らないのは,調子が今ひとつだったのか。しかし,録音も含めてそれ以外は大変レベルが高いと思います。特にバレーズさんはさすがの上手さで感服しました。オネゲルの等身大が詰まった推薦盤でございます。★★★★★
"Prélude, Récitatif et Variations (Duruflé) Romanesque / L'Enchanteur / Portraits de Peintres / Danse pour une Déesse (Hahn) Trio (Weinberg) Trio (Nikolayeva)" (BIS : CD-1439)
Sharon Bezaly (fl) Ronald Brautigam (p) Nobuko Imai (vla)
やや変則的な編成のためか,録音の少ないデュリフレの隠れた名品『前奏,朗唱と変奏』で,ようやく推薦するに値する高水準の録音が。2003年に,カンヌ・クラシカル・アワードの最優秀新人賞を獲ったばかりの若手フルート吹きを,大物二名が助演する企画盤です。ピアノのブラウティガムは,コッホから出たドビュッシー集の丸く均整の取れた打鍵が印象に残る名手。本盤でも予想通り,非常に表情の整った美しい打鍵で場を下支え。本盤に横溢する好ましい音場は,彼の均整の取れたピアノに依るところが大でしょう。フルートのシャロンさんは当時まだキャリアの浅い新人さんながら,パリ音楽院でフルートと室内楽一等を獲ったのは伊達じゃござんせん。仏人のそれに比べ少し重い音色ながら,安定した技量で,大物二名に負けない好演を披露していると思います。惜しむらくは,この変な編成でレパートリに困ったのでしょう。併録が詰まらないこと。併録のアーンは遅れてきた通俗ロマンティスト。相変わらず没落貴族の「良家の子女」ぶりを味わえる平明な曲想ながら,さしたる印象はなし。併録のワインバーグはいかにもポーランドのユダヤ人らしく,不穏に揺れる主旋律はルーセルから無調主義方向へ伸びる延長線上に位置。ニコライエワさんも意外なほど穏健なロマン派書法。いずれも曲は珍しいだけの域を出ませんでした。★★★★☆
André Caplet "Le Miroir de Jésus" (Marco Polo : 8.225043)
Mark Foster (cond) Brigitte Desnoues (msp) Maîtrise de radio France : Orchestre des Pays de Savoie
これはすばらしい。どうにも香港成金が手すさびでやってるB級レーベルのイメージを払拭できないマルコ・ポーロにしては珍しく,人選に愛が感じられる。カプレ神秘主義の傑作を見事に再現前した好録音でしょう。歌唱担当のブリジット・デヌエは,同じマルコから出ているソルボンヌ管のローマ大賞応募作選でも張りと艶のある美声を披露して印象を残した女流。知名度はぱっとしませんけど,そこら辺の一流歌手は軽々蹴散らす美声で,コントロールも上手い。本盤では主唱を担当し,その技量をいかんなく発揮している。1987年のクレルモン=フェラ国際歌唱コンクールの優勝者とは申せ,国際的な受賞歴はあまり見あたらず,国際舞台へ立ちにいく様子もなし。これだけ上手いのに勿体ないですねえ。脇を固める仏国営放送合唱団も,声質こそ少し年輪を感じさせるものの,アーティキュレーションは良く揃い,リヨン放送合唱団と互角以上の勝負をしている。まさかマルコがここまでいいCDを作っているとは思わず,2009年まで買わずにいた不明を恥じました。それだけに唯一残念なのは,歌唱陣の質に比して,いかにも格落ちな後ろの楽団員。弦楽アンサンブルらしいサヴォワ州立管メンバーの彼らは,なるほど地方オケとしては相当に良く訓練され,かなりの健闘。しかしながら,どうしても難しい音符では音色に雑みが混じり,技量不足がちらちら覗いてしまいます。Bの冒頭に出てくるスラーしながらの速いアルペジオが良い例。弦で難しいのは分かりますけど,ここでついつい連携に乱れが生じ,掠れ気味に鳴ってしまうのは,地方オケの悲しい限界でしょう。それを割り引いても,この水準なら充分にいい録音。リヨン管版が無いときは,充分その代わりを果たすと思います。★★★★☆
Georges Auric "Phèdre / Le Peintre et Son Modèle" (Timpani : 1C1090)
Arturo Tamayo (cond) Orchestre Philharmonique de Luxembourg
六人組で一番馬鹿っぽく,人を喰ったリズムとオーケストレーションで聴き手を煙に巻く巨漢。それがオーリックです。初期に戯画的なミヨーですら,後年は深い叙情性とたおやかな田舎情緒をとりいれたのに,オーリックときたら馬鹿まっしぐら。歌曲なんて下品の極みで,真面目に観賞しようという気さえ失せてしまう・・と,ここまで書いたところで,そう思わせることこそ実は彼の狙いそのものだったんだろうなと考えさせずにはおかないのが,彼がごくたまに垣間見せる才気。数少ない映画録音の再発盤に除く,熟達したオーケストレーションの至芸に,さながら100年前のパンクロッカーあるいはラッパーの幻影を見てしまう。技量がありながら,敢えてバカ。多分に政治的意図を含んだ,思惑たっぷりの道化師だったことを,如実に伝えるに充分でした。ストラヴィンスキーの影響の下,衆愚と引き替えの民主性に,おそらく彼はクラシックの未来をみたのでしょう。2005年に出た本盤は,オアナの録音でお馴染みタマヨさんとルクセンブルク放送のコンビによるオーリックのバレエ音楽選。先行する歌曲集が彼の悪趣味な道化の極みを捉え,マルコポーロが印象主義芸術を庶民向けに縮小コピーした,手すさび的「余芸」を露わにするのに比べ,タマヨさんはさすが,彼が一瞬垣間見せる本気の眼光を鮮やかに切り取ってのカップリング。緊密な和声とストラヴィンスキー譲りのバーバルなリズムがあやなす,堂々たる純音楽バレエ。特に後者の『画家とモデル』は管見の限り,これ以外にCDになった音源はないのでは。非常に価値ある一枚といって良いと思います。タマヨさん以下の演奏陣は相変わらず透明度摩周湖なみ。このレベルの演奏で,オーリックの美点である達者な管弦楽法が堪能できる本盤は,間違いなくオーリック入門として最もお薦め度の高い一枚と申せましょう。★★★★☆
Mel Bonis "Suite / Andante et Allegro / Air Vaudois / Septour-Fantaisie ou Concerto / Scènes de la Forêt / Suite dans le Style Ancien / Pièce / Une Flûte Soupire / Scherzo Final" (Hänssler : CD-No.93.204)
Tatjana Ruhland, Christina Singer (fl) Florian Wiek (p) Wolfgang Wipfler (hrn) Lukas Friederich (vln) Ingrid Philippi (vla) Ansgar Schneider (vc)
先にケクランのフルート曲集を録音してくれたシュトゥットガルトの素敵なお姉さまタチアナ女史が,今度はなんとメル=ボニのフルート曲集を制作。大半が世界初録音です。すげ〜!シュトゥットガルト音楽アカデミーの教授さんにしてコローニュ・ベートーベン国際コンペの優勝者らしいフロリアン・ウィークが伴奏し,必要に応じてシュトゥットガルト放送響のメンバーが助演。本国を差し置いてすっかり仏近代のメッカと化している彼の地の,隣国への見識の深まりを如実に示していると申せましょう。ボニは女性であったがゆえに偽名で音楽活動を強いられ,好きな彼氏とも結婚できないまま,悲運の人生を送る羽目になった薄幸の女流作曲家。年若いブーランジェとどことなく被りますけれど,1858年生まれのボニの書法はもっと保守的で,フランク門下の美意識を色濃く踏襲した甘美かつ感傷的なものです。それでいて,後期ロマン派の爛熟とドビュッシーへの憧憬がチラリズムとなって,貞淑な官能美を醸し出しているところが素晴らしい。オケの団員さんが中心だけに,細かいことをいえば少しフルートは息の音が多めだったりもするんですけど,後ろを固める伴奏陣の暖かなサポートで充分フォローできている。先行するヴォイス・オブ・リリクスのものより聴きやすい曲が多いですし,演奏も決して引けを取ってはいません。入手の容易なヘンズラーからこんなものが出るとは。有り難い限りです。★★★★☆
Charles Koechlin "La Loi de la Jungle / Les Bandar-Log / Berceuse Phoque / Chanson de Nuit dans la Jungle Chant de Kala Nag / La Méditation de Purun Bhagat / La Course de Printemps" (Accord : 480 0792)
Stuart Berdford (cond) Vincent Texier (btn) Jacque Trussel (tnr) Iris Vermillion (msp) Orchestre National de Monpellier Languedoc- Roussillon : Choeur des Opéras de Monpellier
とうとうケックランだけで二枚組の新録CDが出る時代になりました。マルコしか選択肢のなかった15年前の状況を考えると,まさしく隔世の感がありますねえ。オケは全く初耳。公私混同で手兵に自作集を録音させるルネ・ケーリングさんが,1990年から音楽監督として金正日状態。恐らくはそのせいで,こんな演目をやるオケになったのでしょう。彼のお陰かどうか,1999年には国立オーケストラに昇格しちゃった模様です。このオケは,ライブ録音をCD化してリリースするプロジェクトをシリーズ化しているようで,生放送?をいいことにエルザンとかデュサパンなんかの変態プレーを次々音盤化。本盤もご多分に漏れず,『ジャングル・ブック』を関連交響詩まで含めて,作曲者の指示通りの曲順で全曲演奏・・と,完全にオタ向けの仕様になっている。高い銭を払っておクラシックの御演奏会に足を運んだ挙げ句,「ほょ〜ん・もワぁ〜ん」みたいなケクラン桃源郷をべったり聴かされた健全なる観客諸兄の心中,心よりお察し申し上げる。その尊い犠牲のお陰で我々ケクラン好きは,仙人然としたオーケストレーションが十全に堪能できる『プールン・バガの瞑想』や『カーラ・ナーグの歌』を,お腹一杯味わえるというもんです。幸運にも本盤,演奏も良い。録音で得をしている部分は少なからずあるようで,細部を注意して聴くと,そこここに怪しい部分もあるにはあるのですが,適度に距離を置いた集音環境が幸いしてか,細かい粗も距離減衰効果によってかなり摩滅。マルコよりはずっと安心して聴けます。惜しむらくは,ライブゆえの咳払いがやや多いかな。まあ,これは不可抗力でしょうねえ。★★★★☆
Jean Cras "Hymne en l'Honneur d'une Sainte / Panis Angelicus / Messe / Ave Verum / Dans la Montagne / Ave Maria / Regina Coeli / Marche Nupitale" (Timpani : 1C1120)
Pierre Calmelet (cond) Sophie Marin-Degor (sop) Pierre farago, Vincent Rigot (org) Catherine Montier (vln) David Lauer (tnr) Le Madrigal de Paris
すっかりクラース贔屓になったタンパニがこのたびリリースしたのは,全てが世界初録音となる宗教作品集。本業が軍人さんで,あまり宗教音楽というイメージの沸かない彼の作る宗教曲は,確かにフォレやフランクらの高踏的な筆致に比べるとだいぶ庶民的。飾り気のない村祭りの風情です。しかしその平衡感覚は,今まで顧みられなかったのが信じられないほど巧みで感心しました。指揮を執るカルムレさんはジュネーヴ音楽院を出たのち,パリ高等音楽大学指揮法科一等を得た人物。その後コルボのアシスタントとなり,ローザンヌ合唱アンサンブルの助演指揮者をやっていたとか。そんな彼に見初められたのが,1970年に結団されたこのアマチュア合唱団。1988年にカルムレが音楽監督になってからは忽ちプロはだしのレベルに上昇。翌1989年のプーランク歌唱コンクールで入賞すると,トゥール国際合唱コンクールでは1992年と1995年の二度に渡って優勝。1993年にはモントゥー記念国際合唱コンクールで審査員賞と聴衆賞を受賞するまでになったそうな。所詮はアマチュア。超一流の合唱隊に比べると,確かに少しキメは粗く,細かいパッセージになると若干乱れは出るんですけど,素人でこの水準は驚異的なのでは。張ったときのお声に少し癖があるものの,出ずっぱりのソフィー・マラン=ドゴール女史もコントロール完璧な歌唱を披露します。充分頑張ったことは認めた上で,敢えて無いものねだりしますと,もう少し精度の高いアンサンブルが歌ったら,恐らく全く違った魅力を引き出せたのでは,ってことでしょうか。★★★★☆
"Sonata in F Major (Debussy) Fantasy in C Major (Fauré) Sonatine op.30 (Tournier) Pièce in C Major (Chausson) Sonatine en Trio in F# Minor (Ravel)" (Claves : 50-240S)
Gaby Pas-Van Riet (fl) Gunther Teuffel (vla) Xavier De Maistre (hrp)
2004年に出た本盤は,ケクランですっかりお馴染みになった南西ドイツ放送(シュトゥットガルト)構成員たちの,フランス憧憬プロジェクト。ベルギー出身のフルートは,アントワープ音楽院を出た後,1973年にドイツ若手音楽賞とベルギー国営放送テヌート賞を受賞。コローニュ音大を経て,バーゼル音楽院でルーカス・グラフに師事し,現在はシュトゥットガルト放送響の首席フルート吹き。初耳のヴィオラとは,同じオケのお仲間で,ケックランつながりですので,本盤の企画も,フロント二名が持ち出したのでしょう。さすがにフルートは超一流どころに比べると若干擦音が強いですし,ヴィオラはドイツ系らしくややカクカクと硬い情感表現が気になるといえばなるんですけど,そのフロントをカヴァーして余りあるのは,やっぱりぶっちぎりのキャリアを持つハープのメストルさん。仏人初のウイーン・フィル首席にして,1998年のUSA国際ハープ・コンクール(ブルーミントン)優勝のキャリアは伊達じゃござんせん。その流麗でたおやかなハープが,アクの強い二名のアラを巧みに下支え。トリオとしてのまとまりを相当程度,高める効果をもたらしている。順当といえば順当。キャリアの差がそのまま三者の貢献度に出ているのではないでしょうか。それだけに,聴きものもトゥルニエのソナチヌ辺りになるのでしょう。同じクラベスにはシャンタル・マチウ女史の素晴らしい選集が。面白いことに,女性であるはずのマチウさんのほうが遙かにくっきりと明瞭で,表現も男性的。メストルさんのハープは柔らかく,それでいて運指は明晰。どちらもそれぞれ素晴らしい。世界に冠たる凄腕の演奏で,トゥルニエの聴き比べとは,何という贅沢。これだけで充分,お腹一杯幸せ一杯でございます。★★★★☆
Jacques De La Presle "Sonate pour Violon / Petite Suite / La Jardin Mouillé / Le Rêve du Jeune Faon / Scherzetto / Orientale / Pièce Brève / Chant Triste / Pièce de Concert / Suite en Sol" (Polymnie : POL590 452)
Detroit-Windsor Chamber Ensemble
これは珍しい。1921年のローマ大賞受賞者にして,パリ音楽院教授。傍ら仏放送局の音楽ディレクターを務めたプレルさんの室内楽曲選登場。彼の作品集が出るのは,恐らく史上初でしょう。キャリアと穏やかそうなお顔立ちから窺えるとおり,初耳の彼の音楽は,穏健なモダニストを地で行く筆致。閃きは乏しいかわり,地道に倣った近代語法を精一杯使い,保守的な形式感の枠内で,極めて生真面目に近代の花弁を開かせる。どの曲を聴いても,曲の形式はいたって保守的。19世紀末のドビュッシーの香りです。頻出する転調や非機能的な和声で,懸命に新時代の空気に馴染もうとする作曲者。生真面目な秀才の戸惑いがひしひしと感じられ,聴くほどに頬が緩みました。音楽院へ進み,これから世に出ようとしたその矢先,思いもかけず年長の天才ドビュッシーが黒船に乗り,すっかり業界を転覆させてしまった。ドビュッシーが生みだした新世界秩序の下,彼は幾多の無名作曲家たちとともに右往左往し,懸命に等身大のモダニズムを追い求めていったことでしょう。演奏陣はデトロイトの室内アンサンブルの団員さんたち。お世辞にも一流どころのような安定感は期待できず,録音状態も含めて垢抜けのしない庶民的な音ですけど,技量は一応安定しており,曲を聴く分にはそれほど大きな不自由感はなし。何より,こんな無名どころを捜し出してCD一枚作ろうとする心意気だけで推薦に値します。デトロイトといえば,パレーの作品集もデトロイトでしたね。何げに業界人のネットワークが仏づいてるんでしょうか。★★★★☆
Heitor Villa-Lobos "Symphony No.7 / Sinfonietta No.1" (Cpo : 999 713-2)
Carl St.Clair (cond) Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
1998年に録音され,2000年にリリースされた本盤でタクトを振るセントクレアは,ちょうど録音の年,シュトゥットガルト放送管の客員指揮者に就任したばかり。最初に染めた大きなプロジェクトがこのヴィラ=ロボス交響曲の全集化だったことになります。『交響曲第7番』は,前年に書かれた第6番に続く1940年代中半の作。1949年に作曲者がロンドン響を振って初演しています。初期には大味なところもみせた作曲者も,この年齢に差し掛かってくると様式的には緻密になり,リズムも多彩。フェルーの交響曲を思わせる重厚な対位法と,極彩色の和声感覚が美しい折衷的新古典派音楽。非常に良く書けていて快哉を叫びました。近い音を探すなら,『喜びの歌』や『バーゼルの喜び』辺りのオネゲルですか。不穏な低域には,フェルーやシュールホフの色彩感覚も垣間見える。あの系統の分厚い和声が好きな方であればかなり興じ入って聴けると思います。併録の『小交響曲』が,良くも悪くも模範的な宮廷風擬古典音楽なのに比べると,雲泥の差。非常に入り組んだ労作といえましょう。こうなると残念なのは,相変わらずの演奏陣。セントクレア指揮南西ドイツ放送シュトゥットガルト管はやっぱり細部のアーティキュレーションが粗雑で,半世紀前の映画音楽の伴奏風。細かいスタッカートや装飾音に満ちた交響曲では,不揃いの林檎ぶりを否応なく横溢して,がっかり度を増幅させてしまいます。これさえなければ余裕で五つ星なんですがねえ・・無念。それにしても彼,こんなに健筆なのに,交響曲の録音が少ないのはなぜなんでしょうか。★★★★☆
Arnold Bax "Cello Concerto / Northern Ballad No.3 / Cortège for Orchestra / Mediterranean / Overture to a Picaresque Comedy" (Chandos : CHAN 8494)
Bryden Thomson (cond) Raphael Wallfisch (vc) London Philharmonic Orchestra
スコットランド出身ながら,イギリス近代の作品に殊の外造詣が深く,アーノルドやヴォーン=ウィリアムスなど多くのマイナー作家に再評価の光を当てたブライデン・トムソン。彼が晩年に取り組んでいたのが,バックスの交響曲全集でした。今でこそハンドレーやブラビンスもバックスを録音するようになりましたが,当時はバックスの曲なんて滅多なことでは聴けませんでした。まして本盤に併録されているような群小曲は,まず耳に届く機会はありませんでしたから,トムソンはまさにバックス再評価の道筋を付けた人物だったといえましょう。ギルドホール音大教授にして,シャンドスを代表するチェリストの一人,ラファエル・ウォールフィッシュを迎えた本盤は,バックスの創作活動がピークを迎えた1930年代の『チェロ協奏曲』と『北方のバラード第三番』を筆頭に管弦楽作品を5篇採録。目玉ともいうべきコンチェルトは,かのティンタジル城などと同様,彼の管弦楽作品に往々にして見受けられる大仰なとりまわしが特徴的。大上段に振りかぶる余り,ややリズムが硬直化してしまう一面も。バックスは室内楽のほうが板に付いてる気はしますけれど,協奏曲の中間楽章や『北方のバラード』における呪術的なリリシズムはこの人ならではの魅力。演奏もトムソン盤の中ではかなりいい部類じゃないでしょうか。その後箱盤化され,首都圏の中古盤店に行くとトムソン盤のバラは捨て値で投げ売りされてます。落ち穂拾いをするのに,トムソンのバックスはぴったり。見かけたら一枚手に取ってみるのも一興です。★★★★☆
Louis Vierne "Intégrale de L'oeuvre pour Piano" (Arion : ARN 268747)
Georges Delvallée (piano)
デュプレ〜トゥルヌミールからラングレへと連なる近現代オルガン精神崩壊過程の嚆矢となった盲目のオルガニスト,ヴィエルヌは,オルガン曲の録音が専ら。他ジャンルは最近までほとんど黙殺されていました。情報化社会の進展で最も恩恵を受けるのは,こういう人なのかも知れませんねえ。1994年から翌年に掛けて分売されたものを,2007年に2 in 1仕様化されたものです。どことなく後期フォーレ的な移調感覚でつらつらと変移していく曲想を,オルガニストらしい構成力が下支え。特に後期の作品が揃った一枚目は,ラヴェルの影響が色濃く表れ,なかなか風雅。オルガン曲にしばしば聴ける,重苦しいイメージとは一線を画する洒落た音楽です。ピアノのダルヴァレーは1937年フルミエ生まれのオルガニスト。エコール・ノルマルに進み,作曲法と和声法をアンリ・シャランに学ぶいっぽう,オルガンをアンドレ・マルシャル,マルセル・デュプレ,マリー・ギローに師事してすっかり魅せられ,オルガニストの道を選択。現在はエコール・ノルマル教授を務める傍ら,教会オルガニストとして活躍しています。彼はトゥルヌミールのスペシャリストとして高名で,『神秘のオルガン』を全集化し,作曲家ともども一躍名前を知られるようになった人物。その学究的な姿勢は,彼自身も録音の一年前まで認知していず,譜面は軒並み絶版だったヴィエルヌのピアノ曲を掘り起こして全集化したこの二枚組でも明らかでしょう。テクニックは達者で,速いパッセージにも摩滅しませんし,やや面白みを減じてでも曲の律動構造を丁寧に読みとっていく律儀な譜読みに好感度大。少し目線は褪めていますけれど,非常に見通しの利く録音になっています。★★★★☆
Maurice Ravel "Intégrale de l'oeure pour Piano Seul" (Accord : 2CD 476 0941)
Roger Muraro, Hortense Cartier-Bresson (piano)
奏者のロジェ・ミュラーロは,1959年リヨン生まれ。ピアノはかなりの程度独学で修得したらしく,1978年,入試には落ちながらメシアンの奥さんイヴォンヌ・ロリオに見初められてパリ音楽院へ進学。彼女に師事してピアノ科で一等を獲得後,1981年のリスト国際で優勝,1986年にはチャイコ国際でも4位入賞したそうな。本盤は2003年に出た彼のラヴェル全集で,記憶が確かなら出た当時は割と評判になりました。しかしながら,すでにこの時キャリアは結構長かったのですねえ。血筋がそうさせるのでしょう。全体に彼のリズム感は前ノリ気味。弱音時の打鍵は柔らかくて美麗ながら,細部に時折アラが出るようです。また,かなりのルバート好き。『前奏曲』や「オンディーヌ」のように,それが効果的に働く時もあれば,「前奏曲」(クープランの墓)のように,演出過多気味にもなってしまう。齢を重ねてだいぶまろみは出てるようですけれど,もう少し熟成が進んだほうが,この人のラヴェルは味わいを増すんじゃないかなと思われた次第です。総じてなかなか良くコントロールはされているものの,中庸なようで,けっこう癖も多い演奏。現代のピアニスト特有の「作る演奏」タイプのわりに,出来不出来がはっきりしてますから,一般人がまとめて聴くための標準盤として積極的に推せる要素は決して多くない。数多の名盤が存在する中で,新たな全集盤として特筆するほどの魅力があるかといわれると,正直微妙。むろん曲によってはきらりと輝く瞬間が含まれていることを充分に認めつつ,総合的な評価はせいぜい4つ星とちょっとのオマケ,といったところではないでしょうか。★★★★
Ernest Bloch "Shelomo / Voice in the Wilderness / Prayer (from Jewish Life)" (EBS : ebs6070)
Antoni Wit (cond) Julius Berger (vc) National-Sinfonie-Orchester des Polnischen Rundfunks
何げにチェロやヴァイオリン奏者による録音が少なくないブロッホ。ユダヤの悲哀の篭もった旋律と,シュミット風味の呪術的な色彩和声が琴線に触れるのでしょう。また別の選択肢を見つけました。1989年にポーランド放送の肝煎りで制作された,ブロッホの管弦楽とチェロの合奏曲全集が謳い文句のCDです。ソリストのユリウス・ベルガーは1954年アウグスブルク生まれ。ミュンヘン音楽院でウォルター・ライヒャルトに,次いでザルツブルクでアントニオ・ジャニグロに師事。その後渡米してシンシナティ音楽院へ進み,ロストロポーヴィチのマスタークラスを受講したこともあった模様。国際的には1979年のニューヨーク国際チェロ・コンペで入賞経験があるようです。私は寡聞にして良く知りませんでしたが,現代音楽の精力的な紹介者としては結構有名なようですねえ。綺麗に整ったピッチと,硬めの張りのある音色はいかにも独襖系。少し音が硬くキンキンしてるのは気になるものの,技量は確かでいい演奏家だと思います。耳馴染みのないオケはどうやら国立カトヴィチェ放送管。こちらも初耳なわりにはそこそこ上手。タクトを振るアントーニ・ウィットさんは国際的な知名度はともかく,ポーランドでは名のある指揮者。エコール・ノルマルに留学してピエール・デルヴォーやナディア・ブーランジェに師事したほか,クラコウの国立音楽学校でペンデレツキに作曲法を習ったこともあるとか。1971年のカラヤン・コンクールで二位になり,御大の助演を務めて国内での評価を確立。その後ワルシャワ管の音楽監督になったほか,ショパン音楽アカデミー教授もやってるようです。★★★★
Wolfgang Mozart "Clarinet Quintet K.581 / Horn Quintet K.407 / Oboe Quartet K.370" (Philips : 422 833-2)
Academy of St.Martin-in-the-Fields Chamber Ensemble
妙齢の乙女にはさっぱりモテないのに,酸いも甘いも噛み分けた人生のベテランがたには,なぜかウケが宜しいこのあっし。ここ一年ほど,ふとした弾みで知遇を得たとある僻地にお住まいのお婆さまと,乙女ちっくにも文通なんぞしております(妙齢だったら,きっと一目惚れしたであろう,と〜っても知的でチャーミングなお婆さんです)。接点はその方の人柄と音楽好きってとこだけなんですが,すでに100歳も見えているお年なのに,とてもかくしゃくとしていらっしゃり,お茶大卒でピアノバカうま。ドビュッシーの話題にも難なくついてくるから凄い。同時代人ですよ一応。すげ〜(驚)。で,ほとんど部屋から出られない彼女のため,ちまたで買ったCDを送ったりしてるわけですが,悲しいことに彼女はどいっち〜中心主義者なわけですよ。愛の語らいをしようと思ったら,あっしもモーちゃるとを買わんとしょうがないぢゃないですか。ちまちま買っては送ってるのですが,やっぱり買ったからには一度は耳にするわけです。で,「ふん・・やっぱりな。だからドイツ音楽は駄目よ」とか再確認して悦に入っていたわけです。ある日250円コーナーにモぅちゃると発見。ど〜せいつものあの調子だろうと,さしたる期待もせず購入し・・。「ヤバイッ!(@_@;)脳天衝撃霊感直撃。悔しいことに,あの悪の権化もーちゃるとを初めて美しいと思ってしまったではないかこのヤロ〜(悩)。嫌いなドイツ敵性音楽の中でも,嫌い度は間違いなく最高峰だったあの軽薄男アマデウスの術中に見事嵌ってしまった自分が恥ずかし〜っ(悩)。こうなると,いつもの如く細部の雑なアカデミー室内の伴奏が気になること気になること。天下のもっちゃるとなら,きっとワールドクラスが大挙録音しておりましょう。どれがいいのか皆目分からず,とりあえずやっぱり安いの買っちゃう貧乏小男汝の名はぷ〜ならん。この選択,間違っておりましょうか?皆様のご教示を乞う。★★★★



Other Discs

Selim Palmgren "Complete Songs for Male Voice Choir Vol.3" (Finlandia : 3984-25328-2)
Matti Hyökki (cond) Talla Vocal Ensemble : Helsinki University Chorus
これは知らなかった。微かにフランス近代を借景にしつつ,穏健なポスト・ロマン派ピアニズムを発揮したフィンランド近代の作曲家パルムグレンの,男声合唱のための作品集。しかも第三集。物珍しさだけの購入なのは申すまでもございません。彼のピアノ曲を聴いて,真っ先に浮かぶのはグリーグの顔。合唱曲もそうだろう・・と,勝手に朴訥なポスト・ロマンティストをイメージしながら拝聴しますと,かなり違った趣の音が聞こえてびっくり。この空気・・どこかで聴いたような・・と散々思いを巡らしてハタと気づいたのが,黒人霊歌でした。フェルッチョ・ブゾーニの弟子として有名な彼は,1921年には渡米してイーストマン・カレッジで教師を務めたこともあります。どこかで黒人ゴスペルを聴き,強くインスパイアされたのかも知れません。いずれにせよ,ピアノ曲が作品カタログの殆どを占めていたはずの彼が,アルバム4枚分にも渡る合唱曲を書いていたというだけで,充分特筆に値するでしょう。彼の作品目録はテロ・トミラさんが制作中らしく,目下大半の曲は作品番号もないまま放置状態。本盤に採録された34曲も作曲年すら分かりませんので,上記は憶測の域を出ません。しかし,今後研究が進めば,北欧のショパンとしか認知されていない彼の作曲家像に新しい一頁が加わるかも知れませんですねえ。歌うのはヘルシンキ大の合唱団とタッラ・アンサンブルなるカウンターテノールの合唱団の混声。後者は男声のくせに女声と見紛う音域が売りらしく,本盤でもその特性が生かされております。残念ながら双方のバランスはあまり良くなく,合唱隊としての精度は今ひとつになってしまいましたけれど。★★★☆
Joaquin Turina "Poema en Forma de Canciones / Tres Arias / Canto a Sevilla / Tres Sonetos / Tríptico / Saeta en Forma de Salve a la Virgen de la Esperanza / Tres Poemas / Homenaje a Lope de Vega" (Claves : CD50-602)
Manuel Cid (tnr) Ricardo Requejo (p)
今はほとんどが廃盤になったと思いますが,輸入盤店がまだ珍しかった当時,京都の十字屋でトゥリーナの室内楽と管弦楽の録音を見つけて驚いた記憶があります。それを出していたのが,当時は元気だったクラベスでした。理由は良く分かりませんが当時,クラベスはなぜかスペイン近代に御執心。トゥリーナは全ジャンルに渡って,数枚CDを作っていたはずです。1997年に出た本盤は,シリーズ第五作。国際的にはほぼ無名で,略歴すら分からない謎のテノール,マニュエル・シドさんが歌ってます。彼はのち,ナクソスから出たファリャの『儚き人生』にも参加してた御仁で,マドリードを拠点に活動している模様。お年のせいか低域の声は充分張れませんけど,コントロールは正確ですし,情感表現も巧みでビロード的な甘さもある。ただ,寄る年波には勝てず,声質がやや弛んで掠れ,くぐもっている。たるんだ喉と顎に音が反響している感じで,抜けがもうひとつ良くない。このため,技巧確かに歌いこなしていながら,どれも一本調子に聞こえてしまう。華が足りないですねえ・・。お写真を見る限りでは結構,お年のようです。昔はさぞお上手だったんじゃないでしょうか。作曲者の筆致は,重度にスペイン音階を使用し,良くも悪くもファリャと類同的。何を書いてもフラメンコ臭が漂ってしまう。和声面では確かに近代ながら,前面に押し出される舞踏リズムとアクセントの土臭さにかき消され,あまり仏近代らしい洒脱さは感じられません。逆にいえば,歌曲は作曲者の民族主義的な個性が最も色濃く出たジャンルといえましょう。★★★★








Recommends


Woody Shaw "Live Volume One" (High Note : HCD 7051)
@love dance Alight valley Bwhy Cstepping stone
Woody Shaw (tp, flh) Carter Jefferson (ts, ss) Larry Willis (p) Stafford James (b) Victor Lewis (ds)
結局あまり浮かばれぬまま世を去ったウディ・ショウが,一部の好き者以外に思わしい知名度を得られなかったのは,最近まで絶頂期のCDが入手困難ないし廃盤だったという,極めて即物的な理由に過ぎなかったのでは。2000年に出た本盤を皮切りに,合計4枚の未発表ライブが大挙日の目を見たことで,手薄だったCBS時代のライブ音源は飛躍的に層が厚くなり,正当な評価を受ける土壌が整った。結局これが,代表作『ステッピン・ストーンズ』の再発にも繋がったんでしょう。本盤はくだんの代表作の前年(1977年)に録音された二管編成のライブ。もともとはウディ自身が音源化を意図して録っていたマテリアルの一部。こんな芸当ができるのも,本盤をプレスしたハイノート社長のジョー・フィールズが,かつてショウも在籍したミューズの創設者だからでしょう。CD一枚にたったの4曲。しかし,演奏時間は57分に達する長尺ライブ。ピアノがオナージ・アラン・ガムズではなく,ベースがクリント・ヒューストンではないことを除けば,聞こえてくる音は『ステッピン・ストーンズ』と酷似した怒濤のモード・ジャズ。同盤に惚れ込んだ方であれば,違和感はほとんど無いでしょう。長尺な分,密度は少し落ちますけれど,より伸び伸びと演奏され,少しだけ等身大仕様の『ステッピン・ストーンズ』。手兵を侍らせたクインテット編成で,脂の乗りきった1970年代後半録音のライブ自体が希少。内容的にも秀逸で,よくぞ録ってくれましたと手を合わせるばかりです。ハイノートからはその後,第4巻まで未発表ライブが出ましたが,本盤は早々に廃盤。3巻まではほぼ同時期の録音で,いずれ劣らぬ出来なので,廃盤にならぬうちに抑えておくと良いでしょう。★★★★★
Massimo Moriconi, Dado Moroni, Stefano Bagnoli "Heart of the Swing" (Music Center : MPJ 1000CD)
@just in time Amedley: sunset end the mocking berd - come sunday - do nothin' til you hear from me Bno greater love Cold folks Dwhen the saint go marchin' in Ea passeggio nel cielo Fantrophology GBarbados Hwhen the saint go marchin' in
Dado Moroni (p) Massimo Moriconi (b) Stefano Bagnoli (ds)
現代ジャズの二大潮流といえばモードとバップ。各々匙加減こそ違え,現代を生きるピアニストは,両方を掌中に収めつつ独自の調合を施して,自分色を出していく必要に迫られる。簡単なようで,これがなかなか難しい。一聴キャラが立つのみならず,そのキャラが血肉となり,説得力と魅力をもつところまで行く人はなかなかおりません。イタリアのやくざな巨漢,ダド・モロニは,このバランス感覚が大変達者なピアノ弾きの一人ではないかと思います。主旋律はあくまでオーソドックスなバップ・スタイル。ウイントン・ケリーやボビー・ティモンズら,黄金時代のバップ・ピアノを正しく継承。それでいて,左手の宛てにはマッコイ・タイナーの薬味を巧みに利かせ,ゴリゴリ肉感的に弾きまくる。調子の出ないときは,二者がちぐはぐに分裂することもあるんですけど,一端興に乗ったらスゴイんです状態。手が付けられません。1995年のミラノで,技師とスタジオ経営者は同一人物の本盤。恐らくかなり気軽に録ったんじゃないでしょうか。土建屋的な大味さをもつ太鼓と,ドスの利いたベーシストの顔触れも良かった。現地調達ムード満載のやっつけ仕事のお陰で,彼もリラックスして興に乗りました。とにかくも本盤,程良く荒れて酩酊した演奏が,実にのびのびしていて素晴らしい。なかなか最近,こういうやざくれたスタジオ録音はないです。唯一気に入らないのは,以前購入したステファノ・バニョーリの『ア・ジャズ・ストーリー』と,三曲がまるまる被っていることですが,この出来映えを前にすれば,そんなのは些細なことでしょう。被った3曲中の1曲@に聴けるやくざなモーダル・バップぶり,ブルージーなウイントン・ケリー節が堪能できるBなど,何度聴いても快哉を叫んでしまいます。★★★★★
Bernie Senensky "Rhapsody" (Timeless : CD SJP 434)
@I hear a rhapsody Acome rain or come shine Bgoodbye, Mr.Evans Cwinnibop Dtogether EWinnie's revenge Fyesterday's thoughts Gsomeday my prince will come Hcome rain or come shine (alt.)
Bernie Senensky (p) Jim Vivian (b) Bob Moses (ds)
リーダーは1944年12月31日ウィニペグ生まれ。クララ・パールマンに就いて9歳からピアノを学び,17歳からはボブ・アーレンドソンにジャズ・ピアノを師事。1962年から1966年にかけて地元やエドモントンを拠点に演奏活動をしたのち,1968年からトロントに移住。米国からの客演ホーン奏者と数多く手合わせをしました。 日本ではほとんど無名ですけれど,カナダではかなり定評のある人物らしく,過去ジュノー賞に三度ノミネート。ジャズ・リポート・アワードで二度最優秀ピアニストにノミネートされたほか,自作の『クリフォードの歌』でソーカン作曲賞を受賞してるそうな。アルバムもすでに12枚を数え,初リーダー作は1975年。本盤は1993年の録音で,リーダーとしては9枚目にあたります。初リーダー盤で,エヴァンスとの共演歴の長いマーティ・モレルを起用する辺りからも窺えるように,彼自身はエヴァンスの影響を自認しており,本盤でも明示的なBを含む@やA,Gはエヴァンスへのトリビュートを意識しての採録とか。なるほど左手の和声やコード打ちはヴァーヴ期以降のエヴァンス風。ケニー・バロンとシダー・ウォルトンを加えて三で割ったような,パラパラした中排気量のモード・ピアノを弾く。最近ですと,マルコ・デットなんかに似てるかもしれない。時折ミスタッチもあり,決して並はずれた技巧派ではないものの,フレーズは良く歌いますし,カラッと気っ風の良いスタイルには嫌味がなく,安定感抜群。自作曲の筆力やアレンジメントも達者で,穴がない。ラウンジとナイトクラブで叩き上げた全天候型のピアニズムのなせるわざでしょう。地方在住者の録音としては十分すぎるほどいい出来だと思います。彼の録音は多くが廃盤のようですが,初リーダー作を含め,二三枚は今も入手可能な模様。他のもちょっと試してみますかねえ。★★★★☆
Don Rendell Jazz Six "Playtime" (Vocalion : CDLK 4284)
@hit the road to dreamland Apacket of the blues Bmy friend Tom Cit's playtime Dtickletoe Ethe lady is a tramp FDolly mixture Gthis can't be love Hby-pass IJohnny come lately Jjump for Jeff Ktres gai Lthe minutes Mfounder member Nboard meeting
Don Rendell (ts) Eddie Courtley (tp) Eddie Harvey (tb, p) Ronnie Ross (as, bs) Peter Blannin (b) Andy White (ds)
1926年プリマス生まれのドン・レンデルは,15才で始めたアルトを経てテナーに転向。軍楽隊ののち,1950年にジョニー・ダンクワース七重奏団に加入。1953年にリーダーが楽団へ再編する際に脱退し,翌年から自分のグループを率いて活動を開始しました。彼は,1963年にジャズ批評家としても知られるイアン・カーを迎えて作ったレンデル=カー五重奏団が有名。1969年にカーがカンタベリー・ロックに目覚めて解散するまでの数年間に,英国ジャズの高度成長期を支える重要作を残しています。レンデルといえば,少し前に再発された初リーダー音源『ミート・ドン・レンデル』がありましたねえ。本盤はこれに続く1950年代後期の録音。イアン・カーと懇意になる前のほとんどを,仲良くフロントで過ごしたバリトン吹き,ロニー・ロスらとの三管セクステットで,西海岸風のサラサラしたジャズを演奏しています。レンデルのテナーは一聴,レスター・ヤングの流れを汲み,少しくすんだ音色も相俟ってリッチー・カミューカ風。淡泊なフレージングで淀みなく謳い,西海岸を範にした厚めのアレンジ。ほとんど違和感無く西海岸ジャズとして聴ける。主役ももちろん上手いんですけど,個人的にはやはりバリトンのロニー・ロスのソロに感心しきり。前も思ったんですが,この人上手いですねえ。もう少し評価されてもいいんじゃないかと思いますがどうでしょう?★★★★☆
Greg Howe "Uncertain Terms" (Shrapnel : SH-1075 2)
@faulty outlet A5 mile limit Brun with it* Cbusiness conduct Dpublic and private Esong for Rachelle Fstringed sanity Gsolid state Hsecond thought
Greg Howe (guitar, all instrumental) Lee Wertman (g-synth)*
速弾きギタリストの草分け的存在の一人として,メタル好きの人でなくとも名前くらいは知っているイングウェイ・マルムスティーン。彼を発掘したマイク・ヴァーニーの創設したレーベルがシュラプネル・レコードでした。Mr.Bigで有名になったポール・ギルバート,メガデスのマーティ・フリードマン,元カコフォニーのジェイソン・ベッカーらを発掘した彼のレーベルは,さながら速弾きギタリストの虎の穴。そこから生まれたスター選手の中でも,ひときわ異彩を放つのがこの人でしょう。本盤はソロ第三作で,1994年リリース。グランジ隆盛の下,アナクロに過ぎる凝ったロック・フュージョンをやってます。イングウェイとヴァン・ヘイレンに憧れる一方,アラン・ホールズワースやフランク・ギャンバレにも傾倒。軸足はあくまでハードロックに置きつつも,ジャズと黒人ファンクを巧みにブレンド。異常に拍節構造の入り組んだメカニカルな変拍子を苦もなく弾き倒す。リズム感やタイム感は怖ろしく正確で,タッピングを駆使したレガートは滑らか。速弾きにも音符が整然と並び,まるで乱れない。しかも黒人らしくフレーズやリフが心憎いほどグルーヴするのだからたまりません。この人は作曲センスがまた見事。本盤でもほとんど全楽曲が宅録。前半を中心に良く書けている。機材は安物らしく,スネアドラムやシンバル類の音がビミョーだったりもするんですけど,そんな細かい欠点はポリリズムと和声の洪水,そして巧すぎるソロのてんこ盛りでゆうゆうと相殺。スティーヴ・ヴァイの名作『パッション・アンド・ウォーフェア』をさらにやんちゃにした,ジャジーなテクニカル・フュージョン。音楽的な方向性がロックでも構わなければ,かなり面白く聴けるのではないでしょうか。★★★★☆
Browne, Haywood, Stevens "King, Dude & Dunce" (New Market Music)
@s.s.t.t. Abeach side Bchange and smile Csinging the blues Da boy like that Esmash up Frecovery Gno obligation quote Hconvert joy
Allan Browne (ds) Nick Haywood (b) Tim Stevens (p)
十年ほど前に,ABC放送の肝煎りでリリースされたトリオ作『不意の陽差しに(Sudden in a Shaft of Sunlight)』(1998)が,翌年の豪州音楽業協会音楽賞(アリア音楽賞)にノミネート。話題を呼んだオーストラリアの三人衆。技量こそ小粒で拍動はモタモタ気味ながら最年長としてチームを引っ張る太鼓のアラン・ブラウンを中心に,良く協調したグループ表現が身上のトリオです。知性派の若手ティム・スティーブンスのエヴァンス・ライクなピアニズムと作曲センスを,頭でっかちに陥ることなく適度に中和していくリズム隊。双方がうまく均衡したバランスの良さが身上で,くだんの第二作は日本でも話題を呼びましたっけねえ。本盤はくだんの出世作から遡ること二年,1996年に発表されたトリオ第一作。自主制作のため市場にはなかなか出回らず,かなり長いこと入手困難だった元・幻盤です。基本的な方向性は第二作とほぼ同じ。第二作で彼らのエヴァンス・ライクな審美主義に趣を感じた方なら,ほぼ予定調和的に安心してお求めになれるのでは。ともすればソロ作では前衛や無調に接近してしまい,頭がでっかちになりがちなピアノを,年長の太鼓が程良く睨んで抑え込み,グループとしてのエヴァンス派トリオ演奏に専念。ピアノを中心にオリジナルも相変わらず非常に美麗で頬緩む。欲をいえば,バラード尽くしでコンセプト明確な第二作に比べると,アップテンポの曲もちょこちょこ入り,ややフツーになっちゃった。その分,彼らの欠点である技巧面での線の細さが垣間見えますけれど,これはまあ,贅沢というものでしょう。お薦めです。★★★★☆
Thomas Rückert "Blue in Green" (Pirouet : PIT3020)
@old devil moon Asidran Bperpetuum Crainy day Dhouse EI should care FDon Luigi Gblue in green Hon and on
Thomas Rückert (p) Matthias Pichler (b) Jochen Rückert (ds)
2001年に満を持して発表した初リーダー作『デビュー』が,耳の早い一部の好事家の間で話題を呼んだトマス・リュッケルト。1970年ヴュルツブルク生まれですから,もう新人の言葉は似合いませんか。ひと頃欧州ジャズ界を席巻したコローニュ音楽院出身ということは,彼もまたジョン・テイラーの高弟。デビューが遅れたのは,その後,クム・ラウデ音楽院へ転じてマスタークラスへ進み,2000年まで勉強を続けていたからのようです。デビュー後,リー・コニッツやアダム・ナスバウム,ジョン・ゴールスビーら知性派の間で寵愛されてきたのも,その豊富な教養に裏打ちされてのことでしょう。一時,あまり話題を聞かなかったような気がしていましたけれど,本人はいたってマイペースに活動を続けていた様子。2004年には,兄弟子のヒューベルト・ヌッスと同じピルエットに移籍し,ベースをマット・ペンマンに換えたトリオで第二作『ダスト・オブ・ダウト』を発表。本盤はこれに続く2006年盤で,ラインハルト・ミッコのリズム隊で名を挙げたゴリゴリ・ベースの新鋭マティアス・ピックラーに再度,ベースを交替。いかにもコローニュ楽壇らしい知性派コンテンポラリー・ジャズをやってます。ミッコさんの『ヴューズ』などにも通じる知的抑制の利いたタッチと,思索的で叙情性豊かなオリジナル曲,凝ったリハモが駆使されたスタンダード解釈のメチエは,いかにもジョン・テイラー筋。これまたミッコさん同様,デビュー当時に比べて知的抑制が利き,やや表現が思索的になりはしたものの,単旋律を大事にした,ナイーヴでメロディックなフレージングに,彼らしい至誠が感じられ好ましく聴きました。捨て曲なく出来も大変良いと思いますけれど,ひとつ欲を言えば,スタンダードは少し弄り過ぎですか。無理矢理感が若さを感じさせてしまうのは,ちょっと勿体ないですねえ。でも安心して聴けます。スモール・イズ・ビューティフルなコローニュ派の秀作としてお薦めです。★★★★☆
Bob Alberti "Nice N' Easy" (Dolphin : 6002)
@nice n' easy Athe gentle rain Ba beautiful friendship Cspring will be a little late this year Dsqueeze me Ea nightengale sang in Berkeley Square Fwonder why Gmy foolish heart Hthe heart of mine Ithe touch of your lips Jmy shining hour KEmily
Bob Alberti (p) Delbert Felix (b) Mark Husbands (ds)
リーダーは1934年ブルックリン生まれ。5代続く音楽一家で,親がアルベルティ楽団なるアマオケを持っていたこともあり,フォート・ハミルトン高校に進んだ16歳には,彼もまたチャーリー・スパイヴァック楽団に入って早くもプロ活動開始。その後はレス・ブラウンやルイ・プリマ楽団を渡り歩き,グリニッジ・ヴィレッジを拠点に活動したようです。しかし,バップ隆盛の下では浮かばれなかったんでしょう。1960年にはTV業界で喰っていくことを決意してロスへ移住。ポール・アンカやジョニー・マティス,パティ・ペイジらの音楽監督になり,1974年から1983年にはジョニー・カーソンの『トゥナイト・ショー』でピアノを弾くなど,裏方稼業一直線。そんな御仁がまたジャズに回帰したのは,1996年にカリフォルニアに開業したドルフィン・スタジオの音楽コーディネーター就任が関係してる様子。TV業界はジャズ演奏家よりよほど儲かったでしょうから,功なり名を遂げた今後の余生は,悠々自適な録音活動で過ごそうと考えたんでしょう。彼のスタイルは,アメリカの片田舎に良くいるタイプの,小粋でエレガントなピアノ。メロディアスで折り目正しい単音ソロと,テディ・ウィルソン〜ジョージ・シアリング風の趣味の良いコード打ち。カクテルといっても甘ったるさとは一線を画す,からりと外連みのないカクテル・ピアノです。最近の人で似たようなタイプを挙げようと脳内の記憶をまさぐると,落ちてくる名前はレイ・ケネディやバート・ダルトン,ジャック・ブラウンロウなど,燻し銀の地方興行主がずらり。小器用でクセがなく,悪くいえば堅実だけど看板役者としては面白くないかも知れない。彼は本録音から三年後,ハリー・アレンと組んでカルテット録音も出してる模様。音楽性からすると,むしろこちらの方で本領発揮してそう。一応まだHMVで頼めるようですが,果たして入荷するのやら。★★★★☆
Metta Quintet "Subway Songs" (JazzReach-Sunnyside : SSC 1151)
@morning rush Aunderground Bsubway suite pt.1-3 Cfast forward Dunderground messenger Eephemeral muse Fevening rush
Helen Sung (p) Marcus Strickland (ts, ss) Mark Gross (as) Joshua Ginsburg (b) Hans Schuman (ds)
メッタ・クインテットといえば,1994年にジャズの普及教育を目途に創設されたNPO団体『ジャズリーチ』の目玉プロジェクトとして結成されたアンサンブル。2000年に作られたデビュー盤『ゴーイング・トゥ・ミート・ザ・マン』は,当時ジャズ・シーンのトップを走っていたターナー〜ローゼンウィンケルを核にした変拍子コンテンポラリー・ジャズで好事家を驚喜させたもんでした。6年振り第二作の本盤は,創設者ハンス・シューマン以外は全員交代。マーク・グロスをはじめ,伝承派っぽい面々が増え,方向性も変わった模様。ロンドンの自爆テロをテーマに地下鉄線の効果音が挿入されるコンセプト・アルバムの体をとった本盤は,良くも悪くも健全な主流派モーダル・ハードバップへ環流しました。一言で形容するなら,ブライアン・ブレイド・フェローシップのコンテンポラリー人脈と,クリス・クロス系の拮抗図式。楽曲提供者にジョン・カウハード,マイロン・ウォルデンが名を連ね,ストリックランド,ジミー・グリーンとバランスされる。グロス,ストリックランドの粘っこいアンサンブルは新主流派黄金時代を彷彿させますし,小ぶりなモード・ピアノを弾くヘレン・スンは作曲も含めてセンスが良い。ベースのギンズブルクも地味ながらシュアです。そんな良いことづくめの本盤が,なぜたったの4つ星なのか。そうなんですよ・・。他に致命的な欠陥ガアルノデスヨ・・。パソ子ですら宅録できるこの御時世に,一体どういう録り方をしたらこうなるのか。盛大に感度むらノイズとクラックルノイズが混入。一・二秒周期で音が片チャンネル消えたり戻ったりするところに,パチパチ音が入るもんだから,もう曲を聴くなんて気分ではありません。しかも全編に渡ってこれ。途中で気づかなかったんかいな・・。恐らく,カセット型のMTRで録ったんじゃないですかね。デジタル機器ではまず入らないノイズです。ヘッドが摩耗・帯磁していたんでしょう。自主制作とはいえお粗末すぎる・・。★★★★
Joe Farrell "Skate Board Park" (Xanadu-Breaktime : BRJ-4547)
@skate board park Acliche romance Bhigh wire Cspeak low Dyou go to my head Ebara-bara
Joe Farrell (ts) Chick Corea (p, ep) Bob Magnusson (b) Lawrence Marable (ds)
1986年に,48歳の若さで惜しくも亡くなったジョー・ファレル。一般にはチック・コリアと絡んだリターン・トゥ・フォーエヴァー(RTF)で知られる御仁です。出世作がどフュージョンなうえ,そこでソプラノ・サックスとフルートを吹いたため,彼はなかなかそのイメージから抜けられませんでした。代表作としてしばしば名前の挙がる『アウトバック』を始め,CTI時代の録音はクリード・テイラーの好みが介在したクロスオーヴァー路線。実際にはミンガス門下で,ビバップ基調のゴリゴリテナーでありながら,出世と引き替えにRTFとCTIに翻弄された前半生が,果たして本人にとって本当に幸運だったのかは,甚だ心許ないでしょう。個人的なお話で恐縮ながら,実は私がファレルを知ったのはRTFではなく,『バード&バラッズ』なるパーカー追悼企画盤。スタン・カウエルのピアノを従え,後期ロリンズを彷彿させるぶりぶり音で吹きまくる男臭いテナーに参ったのが原体験。むしろ後でRTFを聴き,あまりのギャップにびっくりしたクチでございます。1979年にワーナーからレーベルを移籍して発表した本盤で,憑き物が落ちたようにオーソドックスなジャズへ回帰。これ以降は亡くなるまでずっと主流派路線の作品を作り続けました。悠々と楽し気なロリンジアン・テナーを聴くに,巷では見向きもされないこれ以降の諸作のほうが,むしろやりたいことがやれて彼的には幸せだったんじゃないかと思ったり。もし彼が最初から,RTF抜きで4拍野郎としてデビューしていたら,今より知名度は落ちるとしても,ファンは色眼鏡なしにその臭いテナーを聴き,正当な評価をしてくれたんじゃないでしょうか。はっきり申し上げてB級。でも,体臭ムンムンの熱いテナーに頬緩む佳作。もう少し知られても良いんじゃないですかねえ・・。★★★★
Alex Riel Trio "What Happened?" (Cowbellmusic : #14)
@yesterdays Anature boy B100 m spurt Cwithout DI'm getting sentimental over you Eac-cent-tchu-ate the positive Fgiant steps Gdreaming streaming H3rd dimension IIdaho
Alex Riel (ds) Heine Hansen (p) Jesper Lundgaard (b)
1940年コペンハーゲン生まれのアレックス・リールは,ケニー・ドリューやベン・ウェブスターら渡欧組の大物との共演を経て育ててもらった欧州ジャズ・シーンの第一世代。1965年にはかのビル・エヴァンス・トリオの一員となり,モニカ・ゼッタールンドの脇を固めて欧州ツアー。この経験値だけで今後も間違いなく食うには困らんでしょう。最近は悠々自適の録音遍歴を重ねているようで,ケニー・ワーナーとは殊の外懇意。一方では若手の登用にも前向きで,ヤコブ・カールゾンやオリヴィエ・アンテューネらを迎えて胸を貸した録音を何枚か作っています。同趣に位置づけられるであろう本盤は,1978年グレナア生まれの若手ハイネ・ハンセンを迎え,大御所二人で胸を貸す。ピアノは2000年にリトミック音楽院に入学し,卒業したのは2004年だそうなので,本盤は在学中の録音だったことになります。よほど期待されているんでしょう。実際,録音時すでにジョニー・グリフィンやハーブ・ゲラー,フィル・ウッズら渡欧組大御所との共演歴を誇る彼は,経験豊富。急速調の@でも淀みなく指が回っていて,なるほど技術も確か。その後も再演してるところをみると,大御所さんたちも彼をお気に召したのでしょう。ただなあ,何と申しますか,この人のピアノがどうも扁平に聞こえてしまう。左手のシンプルな充てと右手の単音が分離したカサカサ系のスタイルで,打鍵が細く硬い。このため,どうしても演奏がパラパラっと上滑りし,奥行きが乏しくなってしまう。そのくせ,音楽性は保守的でバピッシュなもんだから,すっかり演奏が乾燥肌になってしまい,間が持たなくなってしまいます。決して歌心がないわけでも,テクがないわけでもないので,要は打鍵の好みなんでしょう。でも,こういうピアニストを聴くと,ヤン・ラングレンはほんとに凄い弾き手なんだなと,しみじみ再認識させられてしまいます。★★★★
Steve Kuhn, Steve Swallow "Two by Two" (Owl : SSC 3526)
@gentle thoughts Atwo by two Bremember Cwrong together Deiderdown Elullaby Fladies in Mercedes Gdeep tango Hpoem for #15 IMr.calypso Kuhn JEmmanuel
Steve Kuhn (p) Steve Swallow (b)
サージ・チャロフのお母さんマーガレットに手ほどきを受け,息子に雇われてプロ入りしてから,はや半世紀。すっかり飄々と老成したキューン御大。1967年から数年間,ストックホルムに居を構え,MPSやECMなど録音の優秀な欧州レーベルへ盛んに吹き込みをして,一躍名前を知られるようになりました。ひと頃は欧州イメージを嫌ってか,彼岸のレーベルの録音をぱったりと止めた時期もあったようですけど,1990年代に入ると達観したのか録音再開。その頃には,芝居っ気たっぷりのルバートや左手のポリリズムックな宛てに特徴づけられる,飄々と老獪なピアニズムに到達。1995年に吹き込まれた本盤は,かつてエレキベースへのこだわりを巡ってやや疎遠になった旧友スワロウと,余人を挟まぬ二重奏。標題が示すとおり,二人の自作曲を,ふたりで演奏する趣向のデュオ録音です。かつてECMを彩った高い作曲力をもつ二人のオリジナルを,原著者の手で聴けるというのは大いに魅力的で,早速購入。確かにリリカルであどけない様相の楽曲はどれも美しく,改めて両者の才能に感嘆しました。にもかかわらず,聴後感にはどこか馴染めないものが残ってしまう。かつては硬く神経質な個性がキリキリと対峙したはずの自作曲たちを,齢を重ねた二人は極めて穏当に再現前していく。どことなく大正琴っぽい音色で興醒めを誘う瞬間もあるスワロウのエレキベースと,飄々としたキューンのピアニズム。ベクトルは遙かに開いているはず。それが思いのほか何の変哲もなく淡々と絡み,奇妙に事務的な叙情編を形づくっていく。耳障りは決して悪くないのに,なぜか違和感を覚えてしまうのは,各々が深いところで対話の窓口を閉ざし,課せられた役割に徹しているせいなのでは・・そう考えるのは穿ちすぎでしょうかねえ。★★★★



Other Discs

Achim Kaufmann "Kyrill" (Pirouet : PIT3020)
@linjanje Aslow roundabout Bensormasque CDewey Redman DMisha Antlers Escarine Fimbo Gdorobo Hblue-brailled IStanley park
Achim Kaufmann (p) Vardi Kolli (b) Jim Black (ds)
ヌッスが来て,リュッケルトも来て,すっかりコローニュ楽壇の同窓会場と化している気がしないでもない最近のピルエット・レーベル。本社はミュンヘンで,コローニュとは関係ない気もするんですが,何か個人的な繋がりでもあるんでしょうか。1996年でしたか,バルトークを消化した『ヴィーヴ』で鮮烈な印象を残したアヒーム・カウフマンも,気が付けばいつの間にかピルエットに籍を置き,コンスタントに作品制作を続けているようで。2008年に出たトリオ作の本盤は,全曲を自作。Cを見れば一目瞭然なように,その後の彼は思索的なフリー・ジャズの方向に舵を切ったようです。ナタのようにゴリっとした重い切れ味の打鍵に,鋼鉄系の和声を織り交ぜて武骨に語るピアニズムは,紛れもなくカウフマンのそれ。モンクとバルトークの間に垂直二等分線を弾き,必要最小限の構成音で軋みを与えながら,爆裂しないフリー・ジャズを演奏。寡聞にして初耳のリズム隊もレベルは良好で,レベルの高い音場を作ることに成功していると思います。音そのものは緊張感高く,かつての鮮烈な『ヴィーヴ』の片鱗は充分に窺える。となりますと,後はもうフリー・ジャズ的な音楽性が好きかどうかの一点に尽きましょう。キースが扁平になったようなフレーズと和声,ドッタンガシャーンと追尾する太鼓のパルスが,合わせるのも辛そうなベースと奇妙に絡み合って続くその音世界を「オオッ,緊張感たけ〜!これぞフリー!」と有り難く拝聴するのか,それとも「ぐぇえ拷問だ,ラクガキじみてる・・」と思ってしまうのかで,評価は大きく割れましょう。モンクとバルトークに依拠しつつ,安易な叙情を忌諱する硬派な音楽性であることは充分に認めつつも,そればっかアルバム一枚てんこ盛りされたCDをもらってもあまり嬉しくないあっしは,聴き通すのが辛くドロップ・アウト。まあ好きな方は存分に楽しんでください。アレルヤ。★★★★
Paolo Birro Trio "Live at Siena Jazz" (Splasc(h) : CDH 524.2)
@I'm getting sentimental over you Astablemates Balcool Clament Dyou do something to me EI got it bad Flittle Willie leaps
Paolo Birro (p) Aldo Zunino (b) Alfred Kramer (ds)
もういい加減,『フェア・プレイ』はまぐれ当たりだと認めてしまった方がいい気もするパオロ・ビッロ。2000年に出たトリオ盤です。1962年ノヴェンタに生まれ,元々はクラシックの演奏家を目指し,ヴィチェンタ音楽院に進んでカルロ・マツォーリに師事し,1987年に学位を得て卒業。しかし,その頃にはジャズの方が面白くなって転向。リー・コニッツやスコット・ハミルトン,スティーブ・グロスマンの脇を固めて名をあげました。ソロへ転じたのは1992年,マウロ・ネグリ,サンドロ・ジベリーニと組んだドラムレス・トリオから。『ファニー・メン』は小粋な佳作でしたっけ。彼の名を高めたのは続く1995年に発表したトリオ作『フェア・プレイ』。翌年同盤が,ムジカ・ジャズ誌上の批評家投票で,最優秀賞を受賞してからのことでした。そのままトリオを継続していたら,さらに素晴らしい成果を挙げられたでしょうに。寡欲な彼はなぜか脇役稼業を継続。次にトリオで顔見せをしたのは,五年が経過した本盤でした。彼はこのトリオはしっくり来たのか,同じ顔触れでまた五年後にも『スプリング・ジャズ・トリオ』を制作します。恐らく向こうではレビュラー・トリオとして活動してるのでしょう。彼がどうしてこのトリオでの活動を継続するのか,正直言って良く分かりません。横方向に音を拡げていくクラメールの鈍い太鼓は,ビッロのピアノの縦の陰影を綺麗に殺してしまいますし,ズニーノのベースは弦高が低いせいで音の芯が抜けている。2005年盤で感じた不満を,結局本盤で再確認することになりました。音楽家が感じる居心地の良さが,必ずしもいい成果を挙げる結果には繋がらないということでしょうねえ。★★★☆
Tom Cohen "Diggin' In - Digging Out" (Double-Time : DTRCD-150)
@solar Asoftly as in a morning sunrise Banthropology CChagall Dthe cat Edesert flower Fwell, you needn't Gnot even a hat Htruth is stranger than fiction
Tom Cohen (ds) Chris Potter (ts) Peter Madsen (p) Peter Herbert (b)
ニューアーク出身,フィラデルフィアを拠点に活動するトム・コーエンは,高校在学中の1971年からジョージ・ワシントン大学卒業の1975年まで,トニー・ウイリアムスに学んだドラマー。師匠譲りのレガートの利いた流麗なシンバル・ワークを武器にしつつも活動範囲は極めて広く,フィラデルフィアに移ってからはフュージョン・グループ【カタリスト】やブラジル音楽の【ミナス】に在籍したりと,フリーランスとしてかなり自由に活動しているようです。私が彼を認知したのは,1997年に発表した初リーダー作『トム・コーエン・トリオ』を聴いてからでしたが,当時は正直言ってあまり印象には残らず,むしろピアノを弾くロン・トーマスのモード・ピアノに目を奪われておりました。本盤はそれから2年後に吹き込まれたリーダー第二作で,当時はまだ日本でもほとんど知名度のなかった両ピーターをリズム隊に迎え,クリス・ポターを立てたカルテット編成。人選ひとつとっても,彼がなかなかの目利きと分かろうというものです。ビャービャーとクセのある音色のポターに,ウイントン・ケリーは所詮仮の姿なふたりのピーター。取り合わせとしてはかなり難しく,実際,イン・テンポには則りながらも,かなりフリーに演奏されている。特にマドセンは『スリー・オブ・ア・カインド』当時とは思えないほど,フリーなモード・ピアノで大暴れ。追随する太鼓と合わせて,前作が嘘のような作品になってます。CGに挿入された世にも美しいバラードを始め,マドセンの提供曲はどれも良く書けており,箸休めとして落ち着けますし,コーエンのレガート師としての達者さが良く分かる点では,本盤は前作よりずっとお薦め度が高い。しかし,マドセンのヴァーサイタルさはベクトルの開きを大きくしてしまい,どうにも作品に統一感がありませんし,スタンダード曲の演奏はフリーな素描じみて聴くのが辛い。上手いのは認めつつも愛聴する気にはなれそうもありませんでした。★★★★
Enrico Pieranunzi, Enzo Pietropaoli, Roberto Gatto "Moon Pie" (YVP-Devox : CDX 48803)
@today Aoccasions Bmartina Cskies Dbefore the wind EI'm looking for you Fno exchanges Gautobahn Huptown style Iafter the rain Jblue and golden Kspeedy girl
Enrico Pieranunzi (p, key) Enzo Pietropaoli (eb, g) Roberto Gatto (ds)
地方へ出張するときのあっしの一番の楽しみは,旅先の中古盤屋に足を留め,掃き溜めに並んだCD群を通して,その町に住む人々の民度を推し量ることでして。場数を踏んで慣れてくると,次第にその町の音楽的教養みたいなものが,棚を通して透けて見えるようになる。寂れた地方都市のブクオフにエンリコの,それも一般的なストライクゾーンからこうも外れたCDが並んでいるのを見ると,つい購入者の人となりが偲ばれ,それだけで何やら得した気分になってしまいます。1987年,あのスペース・ジャズ・トリオ当時のエンリコが,こんな若気の至りなアルバムを作っていたとは,正直全く知りませんでした。1983年に登場し,一世を風靡したヤマハのキーボードDX-7。エレピ音を手軽に出せ,破格の16鍵同時発音。そんな最先端の楽器が24万で買える。出た当時は凄く画期的だったのです。DX-7の評判をどこかで耳にした彼が興味津々手を出し,文明の利器に大いに興じ入ったとしても責められないでしょう。かくして本業の片手間,オトナの玩具で遊ぶ三人の姿が,思い切り場違いなYVPのカタログに載ってしまいました。信じられん・・。血迷ったとしか思えない(笑)。キーボードの宿命は音色の風化。ピアノ弾きが手すさびで遊んだ感満載のアレンジ・センスが,チープな音色に乗って悪い方向に相乗効果を挙げ,アマチュア臭さ満載。エンゾによる余芸のギターもかなり危なっかしかったりするんですけど,音楽そのものは腑抜けたザヴィヌル・シンジケート風。一応は真っ当なフュージョンですし,そこまで酷い作品ではないと思います。もちろん,エンリコである必然性が皆無なのは申すまでもない。本盤を「超駄作」とまで酷評するサイトを見ましたけれど,恐らく,エンリコのアルバムとして聴くからこその憤りだったのでしょう。★★☆
Joel Zelnik Trio "Move" (Felicia : THCD-118)
@move Awalk right in Ba minor thought Cblues web Dtune up Emaybe september Fwill you be mine Gcultivation
Joel Zelnik (p) Harold Slapin (b) Dave Rose (ds)
地元大学でジョン・ミーガンに師事し,在学中の1967年,23歳にしてかの有名なヴィレッジ・ゲイトに一度出演。その余勢を駆って翌年,本盤を自主制作。これ以外,殆どな〜んも分からんこのトリオ,その流通の少なさから,かつてはマニア垂涎の希少盤だったんだそうな。そんなアルバムがめでたく復刻。マニアの珍重する「名盤」がどんな音か,興味津々購入しました。一聴した印象は,「なるほど・・学生の演奏だな」でしょうか。リーダーはいかにも白人アマチュア・ピアノ弾き。和声法や奏法はデイブ・ブルーベックに,タッチのキツさはロジャー・ケラウェイに良く似ている。そんなに有り難がるほど良いかなあ?と思わざるを得ませんでした。まず,ピアノも太鼓も技量B級以下。リズム感が悪い。ブルーベック張りのブロック・コード乱れ打ちで誤魔化しますけど,運指の拙さやアドリブのきかなさは隠しようもありません。ゴリゴリした録音でベースが良く鳴るのと,レア盤としての希少価値とで,大枚はたいたマニアの耳には相当な結晶作用が起きてるんじゃないでしょうか(=希少盤がオレだけのもの!という喜びで目が曇っているともいえる)。切った身銭が所詮2000円ちょいのあっしに同じ作用が起きよう筈もなく,脳裏を過ぎるのは「王様は裸じゃないか」のリフレイン。とても20万近く出すようなアルバムではないと思います。ちなみに彼は自主制作で本盤を発表するも日の目を見ることはなく,どうやら堅気の世界に戻っちゃったようですが,ホーヴィ・トラヴィン・トリオのピアノ弾きとして今も現役。奥さんにしてジャズ歌手のフランシーヌ・エヴァンスさんと夫唱婦随,ニュージャージーを拠点に演奏活動を続けているようです。★★★☆
Regina "Curiosity" (Atlantic : 32XD-534)
@sentimental love Abeat of love Bsay goodbye Cbaby love Dhead on Elove time Fbring me all your love Gcuriosity Hjust like you
Regina Richards (vo) Leslie Ming (ds, e-perc, sqc) Gary Corbett (key, sqc, synth) Stephen Bray (key, rthm) Ira Siegel (g) Peter Zagare (b) Jeff Smith, Wayne Cobham, Najee Rasheed, Roger Byam, David Sanborn (sax) Rick Stevens, Leroy Evans (key, synth) et al.
日本語だけかと思っていた一発屋(One hit wonder)の概念が,英語にも存在することを知ったのは在米中。それを教えてくれた彼と一発屋の話題で盛り上がったもんでしたが,さすがの彼も認知していなかった一発屋が本盤の主人公レジーナ女史。1986年にたった一度,『ベイビー・ラヴ』を全米10位に送り込んだっきり,二度と檜舞台に上がれなかった一発屋の鑑です。ブルックリンにイタリア系移民の子として生まれ,メリーマウント・マンハッタン・カレッジ演劇科へ。1979年の卒業後は,パンクやニューウェイヴの音楽シーンに身を投じました。翌年,A&Mに雇われてシングルも2枚出しており,意外にぽっと出ではありません。成功を夢見て機会を窺う彼女に訪れた千載一遇の機会が,1986年に出た本盤のオファー。実は当時,1984年の『ライク・ア・ヴァージン』で時の人となったマドンナが,ちょうど新作の準備中でして。ブレーンだったステフェン・ブレイのCを,マドンナは駄目出し。結果Cはレジーナの新作へ転用され,彼女唯一のヒット曲になりました。ブレイが何を考えてCを書き,マドンナがなぜボツにしたのかは一聴瞭然。それでも良いから成功したいレジーナは賽を投げ,ベイビーな恋を歌って束の間の成功を手にした。束の間の流行に背を向け,次のステージを目指したマドンナは,「私はもうベイビーじゃない。子供は堕ろさないわ」と凄んでダム・ブロンドから脱却。スーパースターへ一歩前進した。Cをめぐって交錯する人生模様を,打ち捨てられた円盤は250円と引き替えに語るのです。★☆
Hilton Ruiz "Piano Man" (SteepleChase : VACZ-1094)
@one for Hakim Amisty thursday Bmedi II Cstraight street Dbig foot Earrival Fgiant steps
Hilton Ruiz (p) Buster Williams (b) Billy Higgins (ds)
2006年5月19日,ニューオリンズのバーボン・ストリートで昏睡状態のまま発見され,意識が戻らぬまま20日後に亡くなったヒルトン・ルイス。54歳とまだもう一花咲かせられそうな年齢だっただけに残念でした。メリー・ルー・ウィリアムスに師事して和声法を修得した彼は,ストラタ・イースト人脈を通じてフランク・フォスターのビッグ・バンドへ。プエルトリコ移民の血筋を生かし,アフロ・キューバン色をバップ・ジャズと巧みにブレンドするスタイルはローランド・カークの目に留まり,1974年から1977年までカークのサイドメンを務めて頭角を表しました。本盤はちょうど彼がカークのグループにいた1975年に吹き込まれた初リーダー作。大御所バスター・ウイリアムスとビリー・ヒギンズのバックアップを得たのも実力か。サンバ乗りの@に強烈な自我を感じるものの,それ以降はいたってオーソドックスなバップ・スタイルでの演奏。分を超えたアップ・テンポのF辺りになると辛そうですし,全体に荒削りな演奏ではあるんですけど,フレージングはよく歌い,なるほど期待の新人さんだったことが良く分かります。この後,彼は歌伴の世界で評価され,ベティ・カーターやアビー・リンカーンの脇でも活動。しかし,どちらかというとラテン・フュージョン畑で成功してしまい,アコースティックなジャズ演奏からは距離を置いてしまいました。若さの残る本盤が,今もってルイスの代表作として再発されるのも,本盤が彼のジャズ演奏家としての持ち味をかっちりと捉えているからでしょう。個人的には,メロディックなポスト・バップ調のC,クリフ・ジョーダン『グラス・ビード・ゲームズ』辺りに入ってそうなミディアム・テンポのE辺りに趣を感じた次第です。★★★☆






脱稿:2009年12月24日 4:48:39

編集後記

すっかり御無沙汰してしまいました。
まことに慚愧に堪えません・・。
月報に湯水の如く時間をつぎ込めたのも,今は昔だなあ・・。





イブですな。クリスマス。
祝いたい気持ちは分かる,しかし・・



拡 大


いつものレバニラ弁当に
メリークリスマスのシール貼るのだけは止めてくれ。



ボーナスの月です。
皆さんはクリスマスプレゼント買いました?
独り身のあっしは,自分にちょっぴりご褒美。
仕事場で使っている卓上用音響設備の,アンプを新調。

随分あれこれ手を出しましたが,結局
サンスイの607シリーズに敵うアンプは
10万以下のクラスには,存在しませんでした。
ということで・・

長く愛用していた旧型の607DRは
弟子の一人にぷれぜんと。
代わりに,少し型の新しい,607MRを購入
今後,新しいアンプを買うことはもうないでしょう。
高く付こうが,現有機を可能な限り修理しいしい
使っていくと思います。


月報を休んでいる間に
世の中は随分変わってしまいましたな。
脱税しながら増税する総理と
最高裁判決を覆す法務大臣に
文化大革命を宣言した行革担当大臣
インサイダー取引する経産相
これだけネタに事欠かない内閣は初めてじゃないだろうか。
それでも支持率5割をキープ。なぜなんだ。

さて,イブですな・・。
今宵はいつもの如く,売れ残りの
ステーキ肉を,ケーキを
捨て値で買い叩き,涙目の店主の肩を
優しく慰撫することにしましょう。アレルヤ。

今年は色々あって,ほとんど更新できませんでした・・。
来年はどうだろう・・。ますます忙しくなりそうだなあ・・
予め,ごめんなさい。

それではまた次号まで,しぃゆうあげぃん。
メリークリスマス,好いお年を。
ぷ〜れん敬白 

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